ベトナム ホイアン・フエ 2002.4.4 - 4.11

港町(ホイアン)とグエン朝の古都(フエ)

ベトナムの印象

今までバックパッカーから聞いたベトナムの噂はあまり良いものではなかった。バイクタクシーやシクロ(人力車)の運転手はしつこく、いつもぼろうとするし、食堂やインターネットカフェまで支払いの時になると金額を上乗せしてくるというのだ。しかし実際に訪れてみると、私達の印象は随分違った。確かに客引きやシクロの運転手の数は他の国と比べて多いかもしれないが、「ノーサンキュー」と言うとたいていはすぐにあきらめてくれた。値段は最初にきちんと合意しておけば、私達の場合はそれ以上取られる事はなかった。食堂では運が良かったのか、家族経営の楽しいところばかりでぼられる事は一度もなく、逆に仲良くなって娘のアオザイ着せてくれたり、おつりがないからとおまけしてくれたりする所が多かった。

周りでぼられた人の話を聞くと、最初に値段の確認をしなかったり、交渉する事なく最初に言われた金額(特にシクロは交渉するつもりで最初は高い金額を言う)で支払って、後でその金額は高すぎたと気が付いたりというケースが多いようだ。観光客の方が気を付けていれば避けられる程度のことが多いかもしれない。

ベトナムに限ったことではないが、旅行者の中には自国での金銭感覚が抜けきらず、ベトナム人の感覚からすると法外なお金を気にかけずにどんどん支払ってしまう人々が時々いる。安宿の受付嬢の月給は約2千円から6千円という。シクロの運転手が普通なら30円しかもらえない距離を走っても、旅行者の中には300円払ってしまう人がいる。ついつい観光客から余計に取ろうとする傾向をしてしまうのも、私達旅行者にも責任がないとは言えない。たった300円じゃないかと言う前に、もし自分がタクシーの運転手で、4千円の距離を走っても、自分の国よりお金持ちの国の観光客が躊躇せずに4万円を払っている姿を見たらどう思うかを考えて欲しい。4万円払った本人は満足しているかもしれないが、受け取った人の気持ち、他の運転手がその話を聞いて後日観光客に対する態度をだんだんと変えていく影響、そしてその後訪れた観光客が受ける待遇を考えていくと、「たかが300円」とは言ってられない重みがあるのではないだろうか。

ベトナムに来て一番驚いたことは、道路がきれいに舗装されていてエアコン付きのツーリストバスが全国を走っていることだ。道路は5年前までは随分ひどい状態だったようだが、現在は特にラオスやカンボジアと比べると信じられない位の進歩だ。安宿が集まる地区にある旅行代理店では、全国の主な観光地を結ぶツーリストバスを出している。旅行会社により、大型バスだったり、ミニバスだったりするが、私達がホーチミン市に訪れたときには値段はどこも似たような感じであった。値段が変わるのは目的地についた後の市内のツアー料金である。自分が乗ってきたバスと同じ会社でツアーも参加する人が多いので、場合によっては、同じ内容のツアーで値段が倍くらい違っていても気が付かない。もし、バスの値段が同じ位ならエアコン付きの大型バスを出すシンカフェのバスで国内を移動して、市内ツアーに参加するなら値段の安い別の旅行代店(例えばホイアンのAn Phu Travelは良かった)を利用するのがお勧め。

港町(ホイアン)

ベトナム中部にあるホイアンは、その昔海洋貿易で栄えた港町だ。一時は中国・インド・アラブ世界を結ぶ国際貿易都市として栄え、日本人も多く渡来した。しかし近年大型船が停泊出来る近くのダナンに貿易都市の座を徐々にうばわれていった。現在ダナンはベトナム第3の大都市となったが、ホイアンは昔ながらの風情のある港町の様子を残している。ホイアンは有名な観光名所となっているが、町自体が小さいのでのんびりと過ごせるところである。住民ものんびりとした気質の人が多く、東南アジアで私の一番のお気に入りの町となった。

のんびりと川をボートで渡る女性達。
ホイアンの通りには、伝統的な様式で再建された建物が並ぶ。
職人が竹と鮮やかな色の布で提灯を作る。
ホイアンで毎日通ったレストランのオーナーの娘が貸してくれたアオザイを着る私。
ベトナムの高校生の制服は、白いアオザイ。全国の都市で見かけた姿だ。私達は彼女達をプリンセスと呼んだ。

グエン朝の古都(フエ)

ホイアンから車で3〜4時間北にあるフエは、ベトナム最後の王朝グエン朝の都であった。現在町としてもかなり規模が大きいので、ホイアンのようにのんびりと町を自転車で走るという感じではないが、王宮のある旧市街は風情がある。

DMZ(非武装地帯)ツアー

フエからは非武装地帯(DMZ)やベトナム戦争の戦跡、戦争中人々の生活の場でもあり、武器貯蔵庫でもあったビンモックトンネルを訪れる一日ツアーがある。DMZは、ベトナム戦争が1975年に終結するまで、南北ベトナムを分ける軍事境界線となっていた。今となってはのどかな田舎風景が広がるが、かつては激戦の舞台となった場所があちこちにある。とても勉強になるツアーであった。

しかし面白かったのは、ベトナム戦争に従軍医として働いていたイギリス人医師によると、ガイドさん(つまりベトナム側)がかかげる歴史と実際に起こった事とは違っている所がいくつかあった事だ。また戦争写真家によると、彼が戦争中に撮った写真がホーチミン市の博物館に展示されているが、写真につけられた説明がまったくのでたらめだという。戦争に関する情報はいろいろな角度からの情報を仕入れないと、本当に何が起こったのか分からないのだなあと気が付かされたのだった。

旧王宮内にある再建された図書館。
フエからハノイ行き寝台列車のハードスリーパー中段ベットに横になるウェス。

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