トルコ ワン湖沿岸 2001.08.16 - 2001.08.19

クルド人の地

トルコ東部の広大なワン湖は、西岸の休火山ネムルット山(もっと西にある巨大な頭の像がある同名の山とは別)が噴火した時に、自然の水の流出口がふさがれてから今ある大きさになり、今は蒸発によって水位が保たれている。その為、水はミネラル分が多くアルカリ性で、水に触るとぬめぬめとした感触がある。この辺りの土地は乾いていて、緑が他の地域と比べて少ない所で、見渡す限りの真っ青の湖は、見る者に心のうるおいを与えてくれる。

また、この地域はトルコの少数民族の中でも、一番人口の多いクルド人が多く住む地域でもある。トルコにはトルコ人しかおらず、少数民族は存在しないという見解を長い間崩さなかったトルコ政府により、クルド人に対する弾圧は長いこと続いていた。クルド語を話すことは厳禁で、クルド語を話していることを見つかったり、自分はクルド人だと公言すると、牢屋に入れられたり、拷問にあったりした。この辺の事情は、言語学者の小島剛一氏の著書「トルコのもう一つの顔」に詳しく書かれているので、興味のある方にはご一読をお勧めする。

現在、EU加盟を目指すトルコ政府は、少数民族問題に対してもかなり柔軟な姿勢を見せている。クルド語を話すことは、法律違反ではなく、またクルド語の音楽テープも売買出来る。トルコ東部のあちこちの町で、「私はクルド人です」と言ってクルド語を教えてくれる人や、クルド民謡を踊りながら歌ってくれる人や、クルド人によるクルド人の為の国クルジスタン建国の夢を語る人などに出会った。

しかし、公の場所でクルド人であることを陽気に語る人もいれば、同じ場所でも別の人はクルド語を話すときはひそひそ声になったりする。また、トルコ東部のある町でこんな出来事があった。

ある日その町の食堂で夕飯を食べていた。食堂の主人のおじさんも、働いている若い男の子二人もとても気さくで、私達が持っているトルコ語のフレーズブックを片手にいろいろとおしゃべりをした。その後、ヒッチハイクをして乗せてくれたクルド人のおじさんや、別の町のホテルや小さな食堂の人々からいろいろとクルド語を教えてもらった後で、その町に戻った時に、同じ食堂に戻った。3人は、私達のことを覚えていてくれて前回のように陽気に迎え入れてくれたのだが、ウェスがあることを聞いてから様子が180度転換してしまった。

その質問とは、「あなたはクルド人ですか、それともトルコ人ですか」というものだ。ウェスとしては、ようやく覚えたクルド語を使いたいけれど、トルコ人に使っても仕方ないから、クルド人かどうかを確かめてから使おうという意図があったのだが、クルド人やクルド語の弾圧があった時(今もあるかもしれない)には、この質問への答え次第で牢屋に入るか、あるいは誇りを捨ててトルコ人のふりをする選択をしなくてはいけなかったつらい歴史を知らなかったのだ。

その質問を聞いて顔色が変わったのは私だけではなかった。今までにこにことしていた店員のすべてから、笑顔がなくなり、硬い表情になったうえに、ひそひそ声で話をし出したのだ。その時はきっと知っている人が同じ質問をトルコ人秘密警察かなんかに聞かれて、ひどい目に合ったことがあるのだろう位に思っていたが、後から考えるとそれだけでは説明がつかないほど、あやしげな雰囲気がただよっていた。例えば、この質問をした後に何人かお店に入ろうとした人々に、お店の主人が何事か話して、そのお客は入らずに出て行ってしまった事。入ってきた人4〜5人は、水だけ飲むか、トイレだけ入って出てしまった事。食事の後、恐る恐る近づいてきて、本当に観光客なのかを確かめるような質問をしてきた事。私達が入ったときはひとりも人がいなくて、次に地元客が入って注文をしだしたのは、私達の食事が終わって主人からいくつか質問をされた後の事だった。もしかしたら、クルディスタン独立を願う地下組織の事務所かもしれないというのが、私達二人の憶測である。

本当の意味での、少数民族問題の解決までには、長い年月がかかるのかもしれない。


ワン湖沿岸

小さなアクダマー島に建つアルメリア教会は、すばらしい保存状態だ。ワン湖南岸から、ボートで3キロ湖内に向かった所に島はある。ボートは乗客が13人集まると出発するが、夏場は観光客が多いので私たちは20分程待っただけだ。

ワン湖西岸にある、休火山のネムルット山(もっと西にある巨大な頭の像がある同名の山とは別)によって出来た火山湖のひとつ。山頂近くには他に4つの火山湖とぬるい温泉がある。

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