トルコ オリンポス 2001年春

LOVEという名の車

春にトルコに来た時、1泊しかしなかったオリンポスという集落で、アメリカのアラスカ州のライセンスプレートを付けた車を見かけた。アメリカでは自分でアルファベットや数字を組み合わせて、カスタムメイドのライセンス番号を選ぶ事が出来る。このはるばるアラスカからやって来た車のライセンスプレートには、LOVEと書かれていた。

翌日朝食時にこの車の主に出会った。アメリカ人の彼は元々のオーナーからネパールのカトゥマンドゥで車の権利を買い取り、ネパール・インド・パキスタン・イラン・トルコ・ギリシャを経てイタリアまで行き、同じオーナーに買った金額から一日あたりいくらかづつを差し引いた金額でまた買い取ってもらうという契約をしたのだ。アラスカの車がいったいどうやってネパールに舞い込んだのだろうかと、興味津々と話を聞いた。

車の元オーナーは愛する奥さんのために、買った車にLOVEというライセンスプレートを特別に付けた。そして世界を二人で楽しく車で旅をする予定でいたが、なんと奥さんが難病にかかってしまい亡くなってしまったのだ。彼は絶望のどん底に陥り、立ち直るまでに数年かかった。しかしこの車を手離す事はなかったのだ。そして絶望の底からようやく這いずりあがった彼は、もう二度と別の女性を愛することはないと思っていたのに、また特別な女性と出会い恋に落ちる。彼女の妊娠が分かったのは、ネパールのカトゥマンドゥにいた時だ。妊娠時は出来れば医療設備の整った先進国で過ごしたいと考えて、ヨーロッパに落ち着くことにした。しかし、ヨーロッパまで車でアジアと中東を横断するのは、子供を身ごもった体でするのは懸命なこととは思えなかった。そこで考えついたのが、ネパールからヨーロッパまで車で大陸横断したいと願う人に売り、後から定住先のヨーロッパで買い戻すというアイデアだった。

突拍子もないアイデアだと思ったが、思いがけず反響があり、ネパールからイタリアへ運転する人が見つかった後は、今度ヨーロッパからネパールへ向けて運転したいという人も見つかった。新しいオーナーによると元のオーナーは、これからヨーロッパとネパール間を運転すしたい旅行者を次々と見つけて、これをビジネスとしようと考えているらしい。

朝あまり時間がなくて新しいオーナー自身の経験が聞けなかったが、彼とオーストラリア人女性の同乗者の旅も波乱万丈のようだ。LOVEというライセンスプレートがおかしいと途中であやしまれたり、アメリカ人オーナーのイランビザがとれずに、彼は飛行機でイラン上空を飛び、オーストラリア人女性と他に見つけた数人の旅行者と交代でイランを運転したりという事もあった。

春にトルコで出会ったLOVEという名の車は、今はいったい誰の運転でどこへ向かって走っているのだろうか。 


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