トルコ フェティエとその近郊 2001.04.01 - 2001.04.04

アン、強盗に襲われる

フェティエに来るきっかけとなったのは、ロンリープラネットのガイドブックに載っていた一枚の写真だった。その崖の中腹に刻まれたリキア式の墓地がどうしても見たくて、パムッカレからフェティエ行きのバスに乗ったのだが、バスの中でどこに泊まろうかとガイドブックを読みながら思案してうちに、フェティエでは数時間だけ過ごして同じ日のバスで次の目的地カシュまで行ってしまおうという結論に達した。

しかし、5時頃フェティエのバスターミナルに到着してカシュ行きのバスの時刻を調べると、その日の最終バスは5時15分で、リキア式墓地を見るには時間が足りない。フェティエに一泊しないといけないようだ。ちょうどバスターミナルにパムッカレの宿で薦められたアイディアル・ペンションのオーナーのソナーが客引きに来ていた。彼のペンションを見に行くことにして、ドルムシュ(乗合の小型バス)乗り場でドルムシュを待っているとどこからともなく大柄の白人男性が話しかけてきた。「きみたちアイディアル・ペンションに泊まっているの?」「今泊まろうか思案中なんだ。」ここで彼はアイディアル・ペンションのオーナーのソナーがいることに気がついたようで彼に話し出した。「あなたのペンションに泊まっているニュージーランドの女性が襲われたんだよ。」それを聞いたウェスは何を思ったのか「それってもしかしてアン?」と聞いた。そんなわけはないだろう、アンは今ごろギリシャのロードス島にいるはずだもんと私は思ったのだが、彼の返答は予想外だった。「君達彼女のこと知っているんだ!」まだ半信半疑で彼の指差す方向を見ると、まさしく見覚えのあるアンが見覚えのある服装でびっこを引き、別の女性に支えられながら歩いていた。

アンはドルムシュの中で事の次第を話してくれた。セルチュックで分かれた後、ロードス島に行くためにマルマリス行きのバスに乗ったのだが、バスの中でガイドブックを読んでいたらロードス島へ行くにはかなりお金がかかるのが分かり、マルマリスのバスターミナルに着いた後予定を変更して、フェティエに一日前やって来たのだった。その日アンは一人でフェティエからゴーストタウンのカヤキョイを経由して海辺の街オルデニズへ歩く予定でいた。カヤキョイでお昼を食べてから、オルデニズまでの道を聞き、歩き出した。今は廃墟となっている元ギリシャ系住民の家々の間を登り、山のてっぺんまで来たときに一人の男の子の姿が目に付いた。その子はお昼を食べた町で一度会って数分言葉を交わし、それぞれ別々の方角へ向かうので分かれたばかりだったのだ。逆方向へ行くと言っていたのに、今度は羊を探していると言っている、トルコでよくあるように英語の練習をしたいのだろうと思い、また言葉を交わした後歩き始めると、男の子も一緒に歩き出した。途中アンのカメラでお互いの写真を撮った後、見晴らしの良い場所に出た。アンが崖の上で景色を眺めていたら、しばらくアンの前を歩いたり、後ろを歩いたりしながらついてきた男の子が、突然後ろからアンのことを崖の上から突き落としたのだった。

崖から落ちる途中奇跡的に木につかまって一番下まで落ちるのを防いだ後、なんとかして崖をよじ登った。しかし木をつかんだ時の衝撃で、体が崖にぶつかり足のくるぶし近くの骨を折ってしまった。もう少しで崖の上にたどり着くという時、男の子の姿が目に入った。アンが無事に崖をよじ登るのは予想外だったみたいで怒っている様子が手にとるように分かった。しかも手には大きな包丁を持っているのだった。一難去ってまた一難。今度は包丁を持って怒り狂う相手の気を静めなくてはいけない。

犯罪者の心理学を勉強したことのあるアンは、こういう状況ではどう対応するべきかの知識を持っていた。包丁をアンのお腹辺りにかまえて、いつでも刺すことの出来る態勢の男の子に、まるでこれが普通のことのように冷静に話し掛けたのだった。「お金が欲しいだけなら、こんなことしなくてもいいのよ。」「私は2500円持ってるけど、帰りのバス代に500円必要だから、あなたには2000円あげる。」結局彼は約2000円分のトルコリラ現金とカメラを取って立ち去り、アンは骨折した足を引きずりながら、約4時間必死に歩き、人のいる所まで下りることが出来た。現地の人々に助けられて、宿に向かうドルムシュの中で同じペンションに泊まるオーストラリア人カップルに偶然会い事情を話した後、フェティエのバスターミナル前でドルムシュを待っている私達の姿を目にして、ドルムシュを止めてオーストラリア人カップルに助けられながら私達の元へ歩いてきたのだった。

宿までのドルムシュの中で事件の全貌を話すアンの様子は、取り乱す様子もなくあくまで冷静で、彼女の勇気ある姿に改めて感動した。あまりにも衝撃的な出来事なので、聞いている内に涙が出てきそうになった。よりによってこんなに安全なトルコで、こういう事件が知り合いの身に降りかかるとは思ってもみなかった。しかし、偶然が重なってアンの災難続きの日の終わりに、この辺りでは唯一の知り合いである私達に巡り会えたのは、アンにとっては不幸中の幸いと言えるかもしれない。

警察に通報

宿で小休憩した後、ソナーとウェスに体を支えられながら、アンは警察署に事件の通報に向かった。管轄は民間の警察ではなく、軍の指揮下にある憲兵(Jandarma)にあった。調査部長は英語が話せないので、ソナーが通訳をして調書を取った後、武装した軍人6人と運転手と司令官とアンを乗せた憲兵専用ミニバンで、事件が起きた山の近くの町カヤキョイに向かった。ソナーとウェスはソナーの車で後を追いかけた。

アンによる犯人の特徴や身なりの説明から憲兵の司令官は、犯人はカヤキョイのレストランに勤めているに違いないと見当をつけた。町のレストランを一軒づつ周り、従業員の男の子を外に集めてアンの前に並べさせた。そして、3軒目のレストランで犯人は見つかった。数分後には、犯人が勤めるレストラン内でアンのカメラが見つかった。アンが持参したカメラのモデル番号とレストラン内で見つかったカメラの番号が一致したのだ。

武装した軍人に護送された犯人は、ソナーとアンの前で尋問された。最初は犯行を否定していたのだが、フィルムには犯人の写真があることをアンが言うとそれで終わりと観念したようで、ようやく犯行を認めた。

兵役の若者の親切心

犯人が犯行を認めた後、事件の次第を詳しく調書にまとめるまでに、かなりの時間がかかった。その間ウェスは廊下で待ち、憲兵所で兵役を勤める若者達をおしゃべりをして、普通は知ることの出来ないトルコの一面に触れる貴重な経験をした。18ヶ月の兵役中の若者は10代の終わりから20代の始めで、司令官はまだ30代始めの若さである。普段はライフル銃等を持っていかめしい顔をしている兵隊さん達も素顔は、好奇心旺盛な普通の若者たちであった。

兵役中は月に500円程度しかお給料がでないということをウェスが聞いた後で、9時過ぎにお腹がすいてきたウェスは近くにレストランがあるかを聞いた。その時間に開いているレストランは1軒しかなくその場所は分かりにくいので多分見つけられないと言う。その兵隊さんは奥の部屋に戻ってなけなしの給料をはたいて市場で買ってきたパンとりんごをウェスに分けてくれたのだ。500円の給料からこのパンを買うのは大変だからパン代を払いたいと言ってもこの兵隊さんは決してお金を受け取ろうとはしなかった。

ありがたくいただいたパンとりんごをウェスが廊下でかじっていると、奥から若者の上司がやってきた。パンとりんごを食べるウェスの姿を見るたとたんに顔色を変えて、湯気のでてきそうな位真っ赤な顔をして若者に怒鳴りだした。怒られた若者も上官に負けない位真っ赤な顔になってうつむいてしまった。ウェスはもしかしたらここで物を食べるのは厳禁なのかもしれないとおろおろとしていると、上官はどすどすと廊下からでて別の部屋へ消えていった。ウェスが若者にもしかしてここで食べていたから怒られちゃったのと聞くと、なんと彼はお客さんがお腹をすかしているのにお前はパンとりんごしかあげられないのかと言われたそうだ。しばらくして上官が戻ってくると、手にはウェスのためのオレンジジュースを持っていた。そしてまた奥に戻って台所でどなった後しばらくすると調理担当の若者がウェスのために食事をおぼんにのせて運んできてくれたのだった。

フェティエ脱出

その日の夜、アンの足の治療をする為と、犯人の精神状態のテストをする為に一同が病院へ向かったのは真夜中に近かった。夜勤の助手と看護婦は雑な手当てをして、アンのつま先が化膿してあまりの痛さに眠れないほどになってしまった。傷があるのに消毒もせず、傷のあるつま先の部分を石膏で固めてしまったのだ。翌日の夜不自然な痛さに不信を抱いた私達は、水と指を使って少しずつ石膏を取り除くと、小指の部分が膿んで2倍くらいに膨らんでいた。膿みを出して消毒した後、霊気(旅行記・霊気で始まった世界旅行を参照)をするとその日の夜はようやく眠ることが出来たようだった。

事件の次の日は、アンは骨折した足で法廷に一日出なくてはいけなかった。犯人の住む村の住人や父親が、少年を裁判にかけないよう不必要なプレッシャーをアンにかけようとしたり、アンの通訳をするはずのペンションのオーナーのソナーが、アンに内緒で犯人の父親と交渉してアンが犯人を罰しないようしむけたりと、心身ともに疲れ果てる一日となってしまった。ペンションのオーナー家族は、身動きの取れないアンにご飯が必要かと聞くでもなく、一人でほっておくひどさである。私達は翌日アンと一緒にタクシーで病院へ行き、きちんとしたギブスをしてもらった後、アンの様子をみて次の日にバスで数時間の海辺のこじんまりとした静かな町カシュまで一緒に移動することにした。悪い思い出がたくさん集まるフェティエを脱出するのが、アンの回復に一番良い薬であろうと判断したからだった。


フェティエ

フェティエはこじんまりとした港町。周りには雪をかぶる山々も見えて景色はとてもよい。

崖の中腹に刻まれたリキア式の墓地。

カヤキョイからオルデニズへの歩き

カヤキョイには元ギリシャ系住民が住んでいたが、トルコ・ギリシャ政府間の強制住民交換政策により、ギリシャ系住民はギリシャへ強制移民することとなり、彼らが住んでいた家々は今は廃墟となっている。

登山道の途中から地中海を見下ろすと、見渡す限り真っ青な海が続いていた。

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