トルコ アララット山登頂 2001.08.19 - 2001.08.24

アララット山に響くクルド民謡

トルコの最高峰アララット山(5137メートル)は、10年間に渡り閉鎖されて登頂する事が不可能だった。一般登山客が本格的に登り始めたのは今年に入ってからで、まだ政府の規制が数多くあり、登山許可を取得したり、登る前に軍の施設に立ち寄ったりと手続きが面倒くさい。また2001年8月現在では、毎週月曜日のみ登頂が許されている。登山のベースとなる町ドーベヤジットにある、The Mountain Club (電話: 0472-312-7823, 携帯: 0542-516-4649, 場所: Belediye Caddesi通り沿い、ホテル・エルズルムの向かい)では、登山許可の申請、登山に必要な道具のレンタル、ガイド、荷物を運ぶ馬を含んだ、アララット登山パッケージを斡旋している。

アララット山には、山小屋等の設備は一切ない。自分達でまたは馬を使ってテントを運ばなくてはいけない。また飲み水の確保も難しい。第1キャンプでは水がまったくなく、馬を使って遠くまで水を汲みに出かけていた。第2キャンプでは氷河の雪解け水を利用した。用意された飲み水はかなり濁っていたので、私達はフィルターを使って水を濾過してから飲み水として利用した。他の人々は一度沸騰したお茶を水筒に入れて水分の補給をしていた。

頂上近くではアイゼンとピッケルが必要だ。私達はドーベヤジットにある、The Mountain Clubで借りたが、人数が多いと足りなくなることもあるようだ。借りたテントや寝袋もかなりお粗末な物で、夜は寒くて凍えてしまった。可能なら良い物を自分で持ち込んだほうが良い。

アララット山登頂

登頂には3日から4日かかる。ほとんどの人は4日かけて登るが、私達は無理してがんばり3日で戻ってきた。しかし3日での登頂はかなりの体力が消耗されるのであまりお勧め出来ない。また、次の目的地までの距離などを書いた標識がまったくなく、ガイド達も知らないので、距離や標高はおおよそのガイドラインである。

第一日目はドーベヤジットの町から始まる。車でアララット山へ向かい、途中の軍のチェックポイントで登山許可の確認がある。私達の場合は登山許可証に名前が記載されていなかった為、発行する役所との確認の為2時間近く待たされた。その後、ロケットランチャー等の重装備を備えた軍のジープ5台にエスコートされながら(一体全体誰に攻撃される恐れがあると思っているのだろうか)、未舗装のでこぼこ道をトラックに詰まれた荷物と共に登った。

トラックから下ろされた所は標高約2000メートルで、そこから第1キャンプ(標高約3100メートル)まで8キロから10キロの道のりを、約4時間かけて登った。登山道は昔道路として使われていた所なので、比較的歩きやすい。途中遊牧民のテントをいくつか通り過ぎた。そこでトイレに行く為みんなから離れた私は、遊牧民族の家畜の面倒を見ている恐ろしい形相の犬に怒られた。牙を剥き出しにして唸る犬たちは、とっても怖かった。第1キャンプは緑の草原の中にあり、風を防ぐために石を重ねて壁になっている中にテントを張った。しかし、ちゃっちいテントと貧相な寝袋では寒さを防ぎきれずに、夜中何度も寒くて目を覚ました。私達は自分たちで食料を用意したので、キャンプに着いてすぐに食事の準備を始めて、暗くなる前にはテントに入った。一緒に登った日本人登山グループの皆さんは、食事つきのツアーだったので、食事の準備が出来るまで待っていたが、食べ始めたのは確か9時近くだったと思う。

第二日目は標高約4200メートルにある、第2キャンプまでの約10キロの道のりを6時間かけて登った。前日と比べて傾斜は急になった。第2キャンプまで来ると植物の姿はまったくなく、岩と氷河のみに囲まれる。馬は荷物を下ろした後、世話役の人達と一緒に下に降りていった。この日の夜はみんなと一緒にごはんを食べさせてもらった。しかし、夜になりウェスの具合が悪くなった。高山の影響なのか、水が悪かったのか、ごはんが悪かったのか分からないが、とても頂上まで登れる状態ではなかった。私は日本人登山グループの皆さんと一緒に、一晩中吐き気と頭痛に悩まされたウェスを置いて頂上に向かった。

第三日目は、午前2時からアララット山の頂上(標高5137メートル)を目指して登った。今までは私が高山病に倒れてウェスが一人で頂上を目指した事が何度かあったが、私だけで登るのはこれが始めてだった。心細い気持ちで登り出したが、日本人登山グループのひとり土井さんに励まされて、随分気が楽になった。道は大きな岩がごろごろ転がっている所を通ったり、砂礫を歩いたりで足場が悪く、暗闇の中ではとても歩きづらい。途中夜が明ける中、下界にアララット山の影が映ったり、小アララットが段々とはっきりとした形に見えてくると、アイゼンが必要な雪の部分に行き当たった。アイゼンを付けて一時間ほど歩くとようやくアララット山の頂上にたどり着いた。

午前11時ごろには第2キャンプに全員戻って来た。簡単な昼食を食べた後、私達はドーベヤジットの町までいっきに帰るために歩き出した。他のみんなは今日の宿泊地第1キャンプまで下りる。

第四日目は第1キャンプから約3時間から4時間かけて、トラックが迎えに来る場所まで下りる。

アララット山を離れて、遠くからアララット山を想う時に頭に浮かぶイメージは、荒涼とした山肌とクルド人のガイドや馬の世話役の男の人達が手をつないでクルド民謡を歌い踊っている姿だ。どこまでも真っ青な空の下で、陽気に歌い踊る彼らの姿は目に焼き付いている。厳しすぎるとも思える自然の美しさと、クルド民謡は不思議なくらい良く調和していた。


アララット山

ドーベヤジットから約6キロ離れた所にある、イシャクパシャ宮殿。宮殿内のモスクは1980年まで利用されていた。イシャクパシャ宮殿を見下ろす位置に、レストランとごろ寝が出来る宿があり、ここから見た夕焼けと朝日に輝く宮殿の姿は幻想的だった。

アララット山登頂第一日目に、元気に歩く日本人登山グループと私(一番後ろ)。偶然一緒に登る事になった日本からの登山グループは、山岳ガイドの青山さんが率いる7人。青山さんが働く会社Atlas Trek(東京:03-3341-0030、大阪:06-6946-9111)は、世界中のいろいろな山への登頂を斡旋している 。

2日目のキャンプ地でのウェスと私。後ろに見えるのは、イランとの国境にある小アララット山。

頂上に向かう途中に見た日の出と小アララット山。

アララット山頂上でポーズをとる土井さんと私。土井さんは、一人で登ることになり心細かった私を応援してくれた。私のデジカメは電池が凍ってしまい使えなかったので、埼玉の実家に土井さんが送ってくれた写真をスキャンしたものだ。後ろに見えるのはガイドのハリスとムスターファで、今までアララット山北壁に挑戦して亡くなった人々の記念碑プラカードを設置している所だ。

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