チベット カトマンドゥからラサへ 2001.10.13 - 2001.10.17

ネパールからチベットへの旅

ネパールからチベットへの国境越えの状況は、その時の情勢により刻々と変化する。完全に封鎖される時もあれば、グループツアーに参加すれば入れる時もある。2001年10月時点では、旅行会社のグループツアーに参加すればチベットに入ることが出来るが、チベットに入る時点でチベットを出る事を証明するバス券か航空券を持っていなくてはいけない。チベットから中国へ抜ける場合はバスでゴルムドへ行くのが一番安い方法だが、チベットからネパールに戻る場合は、現在は飛行機で戻る方法しかない。数週間前までは、ネパールとチベット間を陸路で往復することも可能であったようである。(いったんラサに着いてしまえば、自分でランドクルーザーをチャーターしてカトマンドゥ方面へ向かうことも可能のようである。宿の掲示板には、カトマンドゥまでランドクルーザーで向かう人々が、他の旅行者を募る張り紙が何枚か張ってあった。又中国からずっと陸路でネパール入りした女性にも出会った。)

カトマンドゥには、数多くの旅行会社があるが、自分達でチベットへのツアーを企画して直接観光客に販売するツアーオペレーターは4つしかない。1週間かけていろいろな旅行会社と話した結果、チベットツアーをお願いすることにした旅行会社は以下の通りである。

 

Green Hill Tours チベット・ブータンへのツアー、トレッキングガイド・ポーターの斡旋、ラフティング、バンジージャンプ
Tel: +997-1-428326
ホームページ: http://www.greenhilltours.com
メール: ghill@wlink.com.np
タメルのカトマンドゥ・ゲストハウスの隣。

チベットへのツアーは、どの旅行会社でも火曜日と土曜日の週2日出発日がある。一番人気があるのが、陸路で5日かけてラサへ行き、ラサ市内で2日間の市内観光が付く8日間ツアーである。その他には格安ツアーとして、ラサまでの交通と最初の4日間はドミトリーに泊まり、ラサに到着後自由行動になる5日間ツアーや、往復空路を使うツアーもある。私達4人は格安5日間ツアーでラサ入りすることにした。チベットへのツアーのおおよその値段は以下の通り。
陸路ラサ入り8日間ツアー 値段(ひとり)
ラサでの市内観光、7泊の2人部屋宿泊費と朝食代、ランドクルーザーでのラサまでの交通費、寺院の入場料を含む。 US$340〜US$350
陸路ラサ入り5日間ツアー 値段(ひとり)
4泊のドミトリー宿泊費、ランドクルーザーでのラサまでの交通費を含む。ラサ市内では自由行動。 US$220〜US$230
ラサからカトマンドゥへの航空券 US$260〜US$273
ラサからゴルムドへのバス券 US$35〜US$40
ラサからチェンドゥへの航空券 US$175

中国ビザ取得には、通常の金額(33アメリカドル)では平日5日間かかる。平日3日間で取得するには56アメリカドル、同日取得には66アメリカドルがかかる。カトマンドゥの中国大使館は月・水・金の週3日しか開いていない。チベットツアーを取り扱う旅行会社がビザ取得を代行してくれるが、通常の平日5日間かかる申請以外は、手数料を取る所が多い。

中国元への闇両替は、ネパール・チベット国境を越えた後の中国側の両替商の方が、ネパール側より良い。ネパール側では、1USドルあたり7元のレートだが、中国側では1USドルあたり8元のレートである。

大体同じ時期に、中国側から陸路でカトマンドゥ入りしたオランダ人女性イローナから、下記の情報を教えてもらった。

  • ラサ入りするのに一番近い都市はドルムドで、バスで36時間かけて5000メートル級の峠を2つ越える為、ほとんどの観光客が高山病にかかる。合法的にチベットに入るには、中国国際旅行社で、チベット入境許可証込みの往復バス券を購入する必要がある。
  • 300USドルで、チベット入境許可証、ゴルムドとラサ間の往復バス券、ラサでのホテル3泊分、ラサでの3日分の市内観光が付く。
  • ラサからカトマンドゥまで陸路で旅するには、まず復路のバス券を捨て、合計で5人の旅行者を探し、ランドクルーザーとガイドを自分達でチャーターする。バックパッカーが泊まる宿の掲示板には、同乗者を募る掲示がいくつも張ってあったので、他の旅行者を見つけるのは比較的簡単に出来るようだ。国境の町ザムまでは、どのルートをとるかにもよるが、大体5〜7日間で一人あたり1000元かかる。
  • ザムからネパール国境までは、非常に道の悪い12キロの急なくだり道が待っている。この間をトラック等をチャーターすると、一人あたりやく100元かかる。
  • 中国・ネパール国境を歩いて渡った後は、タクシーでカトマンドゥまで行く。料金は一人あたり500ネパール・ルピー。

ゴルムドから陸路でカトマンドゥへ抜ける方法と、逆のルートの金額を比べてみると、カトマンドゥからドルムドへ入り中国へ抜ける方が安いことが分かった。どちらにしろ、チベット内を旅行するには、中国国際旅行者のお世話になるしか方法がなく、利用者の全員がいやな思い出をひとつやふたつ(又は数多く)持っているのが、残念な事である。

カトマンドゥからラサへの道

第1日目:カトマンドゥ〜ダム(Zhangmu)(2350メートル)−150キロメートル

午前5時15分にカトマンドゥのオフィスで待ち合わせ、ミニバスでネパール国境へ向かった。途中朝食の為1時間程休憩した後、お昼頃にネパール国境にたどり着いた。ネパール側の出国審査を済ませて、中国側の国境へ歩くと、中国側ではチベット入境許可のチェックのみで、正式な入国審査はトラックで45分位でこぼこ道を登った所にあるダムという町で行われた。途中、旅行会社の手違えで、チベット入境許可のリストに名前が間違えて載っていたひとりが中国側に入れず、その人を待つために国境の町で一泊することになった。ダムのホテルに到着したのは、中国時間で午後4時、ネパール時間で午後1時45分。

第2日目:ダム〜ティンリ(Tingri)(4300メートル)−180キロメートル

この日は、標高5050メートルのラルン峠を越え、標高4300メートルの町に泊まった。ツアー客の多くが高山病になる。天気が良ければ、午後にはエベレスト(8848メートル)、チョー・オユー峰(8201メートル)、マカルー山(8464メートル)等のすばらしい眺めを楽しめる。

前日の夜に8時半に朝食で9時に出発という情報がどこからともなく流れたが、チベット側のガイドの紹介もなく、ランドクルーザーへの割り振りもされずに、11時なってようやく出発となった。しかし、30分程行った山の途中で、また何の知らせもなく1時間程待たされた。夜8時ごろにようやくティンリーの町に到着した。私は高山病で頭痛と吐き気がひどく、夕飯も食べれず夜もほとんど眠れなかった。

第3日目:ティンリ〜シガツェ(Shigatse)(3900メートル)−285キロメートル

この日は景色の変化もほとんどなく、高山病にかかった人達にとっては特に辛くて長い道のりが待っている。真昼間でも小川の水は凍っており、10月でも信じられないほど寒い。緑はほどんど見られず、荒涼とした厳しい自然の中に生活しているチベット人の姿を見て信じられない思いになる。

朝は日の出前の7時半頃出発した。車の中も信じられないほど寒く、高山病と合わせてとってもみじめな思いをした。途中、検問所でパスポートと外国人旅行証のチェックがあった。ツアーの車は全部で9台だが、一部の車が先に検問所を通過してしまった事が問題で、後に通過しようとした車が検問所でひっかかり、2時間ぐらいまた待つはめになってしまった。午後2時半に、途中の町で昼食の為の休憩があったが、私とウェスは何も食べられずに、昼寝をして過ごした。午後8時にようやくシガツェの町に到着。過去二日のガイドのひどさに嫌気がさしたツアー客の誰かが不満を述べたらしく、その事に怒ったガイドが、「おまえらなんかもう知らない。かってにチェックイウンをしろ!」と怒鳴ってホテルを出てしまった。仕方なくツアー客のひとりが変わりにまとめ役をかってでた。ホテルにはドミトリー用のシャワーがなく、町の公共浴場でシャワーを浴びた。

第4日目:シガツェ〜ギャンツェ(Gyantse)(4100メートル)−90キロメートル

この日はシガツェの町にある、タシルンポ寺と市場の観光の後、ギャンツェの町まで4時間車で移動して、ギャンツェの町の中のパンコル・チョルテンを観光した。

昨日ガイドの代わりにまとめ役をかって出てくれたツアー客が、ガイドと話し合ったようで、総勢44人のツアーグループを、タシルンポ寺にいくグループと、市場や銀行に行くグループの二つに分けて、2時間後にそれぞれ交代することになった。確かに44人で一人のガイドでは、観光も不可能に近いので、これは良いアイデアであった。カトマンドゥの旅行会社では、参加人数が35人以上になればガイドを2人つけるという話であったが、いったいどうなっているのだろうか。パンチェン・ラマの本拠地でもあるタシルンボ寺はすばらしく、途中気分が悪くてしゃがみこんだりしてしまったが、それでもチベットに来てよかったと始めて思えるようになった。本来なら2時間で行けるはずのギャンツェまでは、工事の為の道路封鎖があちこちであり、結局4時間もかかってしまった。

第5日目:ギャンツェ〜ラサ(Lhasa)(3650メートル)−261キロメートル

この日は5054メートルのカロー峠を越えて、4250メートルにあるヤムドク湖でお昼の休憩をして、午後3時にようやくラサに到着した。

第6〜7日目:ラサの市内観光(別ページに詳しく掲載)

ガイドの当たり外れ

私達が参加したツアーは、総勢44人の非常に大きなグループツアーとなった。第一日目にネパール国境まで、ネパール側のガイドがついていろいろと世話をしてくれたが、チベットに入りチベット側の旅行会社に引き渡されてからどうも雲行きがおかしくなった。

まず連絡網が途絶えてしまい、何時に出発するのか、どこに集まるのか等の情報がまったく入ってこず、周りのツアーのメンバーに聞きまわってようやく噂を入手するのが、唯一の情報源であった。

上記の日程別の説明の中にもあるように、ガイドの不手際で何時間も時間を無駄にしただけでなく、少しでも観光客が文句を言うと逆に怒って観光客に怒鳴り散らしたりする、どうしようもない男であった。

ネパールの旅行会社は的確な情報を私達に与えてくれたが、チベットに入った時点で不手際の多いチベットの旅行会社が主権を握ることになる。すばらしいガイドもいると話に聞くが、どのガイドに当たるかは運次第となる。

トイレの話

以前に中国のトイレは、女性用も個室になっておらず、トイレに入ると用を足しているところが丸見えという話を聞いてから、そのトイレが夢に出てきて、どうしてもトイレに行きたいのに行けない、というつらい思いで目が覚めたことが何度もあった。チベットに入ってからその恐怖のトイレがあたりまえのように続々と出現した。不思議なことに、夢の中ではそんなトイレで用を足すことは絶対出来ないと思っていたのだが、必要に迫られると使えてしまうことだ。ラサまでの5日間は木や建物など隠れるところがほとんどない荒涼とした土地を通り過ぎる。今から思えばよくあんなところで用を足したと感心する。時にはウェスにジャケット等を持ってもらって目隠ししたり、しゃがんでも頭が丸見えの瓦礫の向こうで済ましたりした。人間必要に迫られれば、何でも出来るものだ。


チベットへの道・第2日目

ニェラムの町中を歩くヤク。ヤクはチベット人の生活に欠かせない存在だ。荷物を運ばせ、肉は食用として使い、ミルクからはバターを作る。

標高5050メートルにあるラルン峠からは、周りの雪をかぶる8000メートル級の山々を見渡すことが出来る。空気は薄く、風は信じられないほど寒い。

世界最高峰のエベレストをチベット側からみた所。

チベットへの道・第4日目

シガンェのタシルンポ寺の建物の前でポーズを取るウェスとカーク。パンチェン・ラマの本拠地であり、歴代パンチェン・ラマのお墓が祭られている。最盛期には4000人の僧侶がいたが、今は1000人近くの僧侶が生活している。信仰心の厚い多くのチベット人の人々がお参りにきていた。

タシルンポ寺で見かけた僧侶。

シガンェからギャンツェへ向かう途中は、道路工事があちこちで行われており、なんの予告もなくいきなり道路が塞がれていて、遠回りを何度もされられた為、予定の倍の時間がかかった。

ギャンツェのパンコル・チョルテン前のマニ車(マニコル)。巡礼者はこれを時計回りに回しながら進んでいく。中には印刷された巻物状の経文が入っており、一回まわすと一回経文を読んだ事になる。

パンコル・チョルテンは、8階13層からなっている仏塔で、仏像が安置されていて壁画に飾られている小さな部屋がたくさんある。

パンコル・チョルテンの塔の上のほうには、チベット寺院特有の仏眼が描かれている。

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