シンガポール   2002.10.25 - 11.03

世界旅行の終わりを決定する

シンガポールが私達の世界旅行の最終地点になるとは、想像もしていなかった。元々は、パリからオーストラリア西海岸のパースまでのレイオーバーで、1週間ほど滞在する予定でいた。10ヶ月前にバンコクへ滞在中、シンガポーク航空のマイレージが大量に期限切れになってしまう為、急いでマイレージを利用してチケットを発券しなくてはいけない事が分かった。普段ならそんなに先の予定は立てない方針だが、ただで飛べる飛行機チケットを失いたくなかったので、背に腹は替えられず無理やりパリからシンガポール経由でパース行きのチケットを発券したのであった。しかし、4ヶ月位前から二人とも長期旅行を続ける事にに疲れが出始めた。どこかに落ち着いて収入を得る生活がとても恋しくなったのである。旅行中出会った人々の話を聞いていると、私達が経験したような旅疲れの症状が出始めるのは、人によって期間が異なるようである。6ヶ月の旅の後、すっかり旅行に飽き飽きしてしまった人もいれば、6年以上旅をしていてもまだ続ける気力のある人々もいた。私達は運良く二人とも同じような時期に、旅疲れそして定住したい欲求症候群が出始めた。この症候群に一番始めに気が付いたのは、次の目的地の事をガイドブックで読んでいても、以前のようにわくわくする気持ちがなくなってしまった時である。次の目的地を決めて、交通手段を調べて、バスや電車に揺られて、目的地に着いて観光するというプロセスがだんだんとおっくうに感じてきたのだった。これは潮時かもしれないと私達は考えた。

旅行を終える事を決めた時、私達は中国にいた。そしてパリ発シンガポール経由パース行きのチケットを既に発券した後であった。とりあえず中国からゆっくりと陸路でフランスへ戻り、毎年帰っているシャストイに滞在してから、飛行機でシンガポールへ行った所で旅行を終えようという事になった。中国からどうやってパリまで行ったかは、以前の旅行記を見ていただきたい。

1999年までシンガポールへ滞在した時に知り合った友人の多くは、シンガポールを去ってしまっていたが、まだ残っているいろいろな国籍の友人とシンガポール人の友人と、シンガポールで再会した。中でも私の元同僚ジミーには、家に泊まっても良いというありがたい申し出を受け、お言葉に甘えて一週間お世話になる事にした。

シンガポールへ戻ってきて驚いた事がいくつかあった。まず人々が以前と比べて親切でマナーが良くなったように感じた事。そして街や食堂がピカピカに感じた事だ。最初はアジア、特にインドや中国を旅行した後だから、その反動で人々の行動が良くみえたり、周りがきれいにみえるのだろうと思った。しかし長くシンガポールに住む外国人に話を聞くと、確かに年々シンガポール人の態度が変わってきているそうである。特に運転マナーが目に見えて良くなって来ているそうだ。それ以外にも以前にシンガポールに住んでいた時には、電車の乗り降りの時に降りる人を待ってから電車に乗るというマナーがまったくなかったのだが、今回戻って来てみると、ずいぶん降りる人を待つ人々が増えてきていた。また、タバコを吸う人が全体的に少ない上に、タバコを吸う人のマナーが中国と比べて雲泥の差であった。買い物の時にもきちんと列が出来て、割り込みされる心配がなかったり、どこへ行っても英語が通じるのが、とても便利に感じられた。一年中続く蒸し暑さと、休日にやる事がない以外は、住むにはいい所かもしれないと私達は思い直したのであった。

そんな心境になったのには理由があった。1週間滞在している間に、ウェスの元上司から仕事の話が浮かび上がり、その仕事はアジアならどこに住んでもいいという話だったのだ。そんな事があり、真剣にアジアではどこに住むのが一番かと考え出したのである。私達の中で候補にあがったのが、東京、シンガポール、バンコク、上海であった。お給料は同じと仮定して、それぞれの都市の良い点悪い点を挙げていくと、シンガポールが断然トップにあがった。これは私達にとって意外な結果であった。とりあえず突然浮かび上がったウェスの仕事の話を進めて行き、もしそれがだめになったら上海へ行って仕事を探そうという事になった。

どうして上海かというと、中国に滞在中気がついたのが、今の不況の世の中で、唯一経済が上向きなのが中国だった。そして上海に滞在中に話した、アメリカ人と日本人の人々から、いかに上海が外国人にとって仕事を見つけやすいかという事を聞いて、キャリアに長い間ブランクのある私達にとって仕事を見つけるのに一番可能性が高いのが上海なのではないかと思ったのである。中国は遊びに行くにはとても面白い所ではあるが、正直言って住みやすい国とはいえない。タバコの問題や公共道徳の問題、基本的なインフラの遅れがある。また中国語が出来ないととても不便である。シンガポールから上海へ引越した日本人の友人は、上海は見かけはどんどんと近代化しているが、中身がまったく変わっていないので、ハードウェアだけが向上して、ソフトウェアがそれについていけない状態だと形容していた。しかし仕事をするには、今アジアで一番エキサイティングな環境かもしれない。
ウェスの元同僚ラクシュマンと奥さんのタニュジャと。タヌージャの作るインド料理は絶品である。

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