ネパール アンナプルナ地域 2001.10.22 - 2001.11.11

アンナプルナ連峰一周トレッキング

ネパールでのトレッキングは、今回の世界旅行の中でもハイライトのひとつである。トレッキングに一番良いシーズンは、モンスーンが終わり快晴が続く10月から11月にかけて、または冬が終わり暖かくなる3月終わりから5月中旬までと言われている。チベットから戻り念願のヒマラヤでのトレッキングを始める為に、あわただしくアンナプルナ地域にやって来た。

アンナプルナ地域は、ガイドブック等によるとネパールでもっとも変化に富む美しい景色を楽しみながら歩くことが出来、また途中には宿や食事の出来るティーハウスが点在していてとても便利な為、数多くの観光客がやって来る。ひとり静かに景色を楽しみながら歩きたいという人には不向きだが、ガイドやポーターの助けを得ずに、標高5416メートルの峠を越えて、アンナプルナ連峰の周りを歩きロブチェ東峰登頂に向けて体力をつけたいという私達にうってつけだった。

宿と食事:4000メートルを超える高所を除いて、途中宿泊や食事が出来る宿のある村々は1時間から2時間おき位にあるので、その日の体調に合わせて休憩時間や宿泊先の選択は自由自在に出来る。アンナプルナ地域の宿はソーラーを利用したホットシャワーがある所も多い。食事も山奥でこんなに選択肢があるのかと感動する程バラエティーに富んでいる。宿の値段と食事の値段は、アンナプルナ自然保護地域プロジェクト(ACAP)によって村ごとに統一されている所が多い。山奥に入れば入るほど値段がだんだん上がるが、必要な材料はポーターやラバ等を利用して何日もかけて運ばなくてはいけないことを考えると仕方がない。毛布を置いていない所もあるので、10月でのトレッキング中は寝袋は必需品であった。特に4000メートルを越える所では暖かい寝袋がないと夜寝るのも困難である。

予算:アンナプルナ一周に必要な費用は、だいたい平均して一人一日750ルピー(約千円)位だ。この費用は宿泊費、3度の食事代を含む。

飲み水:ミネラル水のプラスティック容器が環境破壊の原因のひとつとなっている。山奥でのリサイクルはほとんど不可能なので、その辺に捨てられたままになるのが現状のようだ。そこでアンナプルナ自然保護地域プロジェクト(ACAP)は、水道水や川の水をフィルターやヨード液(または錠剤)を使って飲み水を確保するよう推奨している。私達は多少重量を増やすが、変な味のつかないフィルターを運び毎晩次の日の飲み水確保の為に、ウェスが洗濯をしている間私が飲み水を作るというのが日課となった。

トレッキング許可証:アンナプルナ国立公園内をトレッキングするには、入場料を前もって納めて許可証を取得する必要がある。カトマンドゥかポカラのACAPオフィスで取得すると2000ルピーだが、許可証なしで入り国立公園内で見つかると、倍の4000ルピーを払うことになる。ACAPや警察の検問所がいくつもあるので、前もって許可証を取得しておいた方が良い。

ガイドとポーター:アンナプルナ一周ルートは荷物を運ぶラバの群れが通る位、道が整備されていて分かりやすいので、道を知るためにガイドを雇う必要はない。また、ポーターは途中の村で雇うことも可能だ。途中であった観光客を率いるガイドさん達は皆親切で、宿でおしゃべりしながらいろいろな情報を教えてくれた。中でも他の人と比べて群を抜いて人柄が良く、プロ意識のあるガイドさんが一人いたのでここで紹介する。Arjun Neupane(arjunneupane@hotmail.com)という名前のガイドは、カトマンドゥに住んでいて、メールで連絡すればネパール中のどこでも案内することが出来るそうだ。

登山口への移動日(10月22日)カトマンドゥ〜ベシシャハール

朝7時カトマンンドゥ出発の観光バスに乗り、午後12時半にドゥムレでローカルバスに乗り換えて、午後3時にアンナプルナ連峰一周コースの登山口となるベシシャハールに到着。ドゥムレから乗ったローカルバスには、ヤギを連れ込む人が何人もいて、バスの上にもバスの中にもヤギがいた。ローカルバスの値段(40ルピー)の5倍を払えば、観光客用のツーリストバスに乗ることも出来る。途中乗り降りする人も少ないので、ローカルバスよりは早く目的地に着くようだ。途中4台くらいのツーリストバスに抜かされた。でも、ヤギと一緒にバスに乗る事は滅多に出来ない貴重な経験となった。

カトマンドゥからポカラへ向かうバスから撮った写真。観光客が乗る「観光バス」は、席の数以上の人が乗ることはないが、ローカルバスにはバスの中にも、バスの上にも乗せられるだけ人や荷物ややぎが乗る。

カトマンドゥとポカラの間にある、ドゥムレという町でバスを乗り換えて、今度はやぎと一緒のローカルバスで、登山口のベシシャハールの町へ向かった。途中の検問所では外国人(私達だけ)、子供、やぎ以外の人々はバスから下ろされた。

 

第1日目(10月23日)ベシシャハール〜Khani Gaun
歩き時間(お昼等の休憩時間を除く):8時間

朝7:40に出発したが、町の中でちょっとだけ迷子になった。途中雪をかぶったアンナプルナ連峰が姿を現した。1日目から荷物の重さがかなり気になる。この調子であと20日間近く歩き続けることが出来るのか、ちょっと不安になった。

午後3時頃に、同じ場所から歩き出した人がほとんど泊まる町に到着したが、次の町まで後2時間位歩くことにした。ウェスは今日はかなり疲れていたので心配したが、1時間半歩いたところで、一軒とても感じの良い宿があり、そこで宿泊することにした。ソーラーのお湯のシャワーもあり、オーナーの家族もとても良い人達で、とても落ち着ける宿で大正解だった。

竹で作られた吊り橋は渡るのにスリル万点だ。

写真のような段々畑が急な山の斜面を利用してあちこちにみられる。

 

第2日目(10月24日)Khani Gaun〜タル(Tal)
歩き時間:6時間半

朝7:20出発。昨日同じ宿に泊まっていたイタリア人登山客のガイドから、これからのスケジュールをアドバイスしてもらった。今日は8から9時間先のタルという町まで歩く。今日の歩きは昨日と比べてずいぶん楽だったので、宿についてもまだ元気だった。今日の景色は、ずっと続いていた段々畑が消えて、崖が川の両側にそびえたつようになった。

川の両岸が、ゆるやかな段々畑から崖に変わってから、何百メートルもの高さから下のMarsyangdi川にめがけて水を落とす滝がいくつも現れるようになった。

 

第3日目(10月25日)タル(Tal)〜コト(Koto)
歩き時間:8時間

Talの宿で朝ご飯を食べて、7:10に出発。ACAPチェックポイントで途中の町から道が2つに分かれる事を知る。Danaqueの町で昼食後、下の道を選びコトの町に午後4時15分に到着した。後からいやなイスラエル人6人グループがやって来て、宿の雰囲気をむちゃくちゃ悪くしてしまった。この後、イスラエル人のグループにはいくつも出会ったが、なぜか地元の人や他の旅行客に無礼な人が多く、地元の人だけでなく他の旅行者からも煙たがられていた。

 

第4日目(10月26日)コト(Koto)〜オムデ(Humde)
歩き時間:8時間

無礼なイスラエル人を避けるため、朝食抜きで6:30に宿を出発した。途中ビスケット等を食べて、Bhratangの町でブランチを食べている時、ハンブルグからトレッキングに来ているドイツ人2人組に、3日間寄り道をすると、世界で一番標高の高い湖ティリチョ湖を見ることが出来ると教えてもらった。次のトレッキングに出かけるまでの残り日数を計算してみて、3日間の寄り道をすることに決めた。午後1時にピサンの町に到着して、おいしい昼食を食べながらここで泊まるか、ここままもう少し歩き続けるかかなり迷ったが、結局オムデの町まで歩くことにして、午後4:10に到着した。今日は特に景色がすばらしかった。歩いていると、次から次へと別の雪をかぶった山が姿を現し、また一枚岩の巨大な崖が見えたりした。夕食時に長期旅行中のアメリカ青年マイクに出会った。標高4010メートルあたりで、高山病になりあきらめて戻ってきた所だった。私達以外の3人の客全員が、高山病やけがで登山を断念して、オムデから飛行機でカトマンドゥやポカラに戻ろうとしている所だった。1週間近くも歩いてから、標高5416メートルの峠を越えられずにあきらめて、もと来た道を引き返す可能性があることをあらためて思い知らされた。ただでさえ高い峠がますます遠くて手のとどかないほど高い所にあるような感じがちょびっとしてきた。

登山道から見えたアンナプルナ連峰のひとつである、アンナプルナIIは標高7939メートル。

 

第5日目(10月27日)オムデ(Humde)〜カンサー(Khangsar)
歩き時間:5時間

朝食後7:40にオムデを出発。広い峡谷沿いのほとんど平らな道を2時間歩くと、小さくてかわいいブラガの町についた。焼きたてパンの姿に惹かれて、今日2度目の朝食を食べることにした。次の町マナンまでも比較的平らな20分の道のりだ。マナンは英語を話すお医者さんがいたり、英語の映画が見れたりする比較的大きな村で、高度に慣れるために2泊する人が多くいる。私達はアンナプルナ一周ルートをマナンで離れて、ティリチョ湖方面に向かった。マナンからカンサーまでは思ったより長く疲れる道で、ようやく午後2時にカンサーの村に到着した。

アンナプルナ一周ルートからティリチョ湖までは2箇所宿泊設備があるのみである。ひとつはマナンから約2時間のカンサーの村で、もうひとつはカンサーから歩いて4時間から7時間かかるティリチョベースキャンプである。ティリチョベースキャンプは標高が4150メートルある為、一日の標高差をなるべく少なくするために、前日は標高3734メートルのカンサーの町で一泊する人が多い。

オムデの町を出たところで姿を現した、アンナプルナIII(標高7555メートル)。

ティリチョ湖への途中にあるカンサーの村はアンナプルナ一周ルートから数時間離れた所にある。ティリチョ湖はカンサーの村の後ろの地平線の先にあり、たどり着くのにあと2日かかる。

 

第6日目(10月28日)カンサー(Khangsar)〜ティリチョベースキャンプ
歩き時間:6時間

ティリチョベースキャンプまでは2つの行き方がある。上を通るルートは景色が良いが、標高4700メートルまで登る為に、休憩を入れると6時間から7時間かかり、また高山病の恐れもある。下を通るルートは、3時間から4時間かかる4000から4250メートルの間を上ったり下ったりを繰り返す道だが、土砂崩れの影響で道が悪い所があり、途中崖の上のあまりに細い道に恐れをなす人もいる。

最後の最後までどちらの道を行くか迷ったが、7:40から歩き始めて3時間後くらいにある分かれ道で、高度に慣れる為と、良い景色が見れる為、上を行く道をとることにした。途中標高4500メートルを過ぎた位から息が苦しくなってきたが、ゆっくり休憩をとりながら歩き、ようやく出発してから6時間後に標高の一番高い地点に着いた。そこからベースキャンプまでは1時間位だが、信じられないくらい急な斜面の砂礫の中にジグザグの道が作られており、こわごわ下りた。宿は結構込んでいて落ち着かない所だった。部屋はドミトリーしか空いていなくて、狭い部屋にびっしりとベットが並んでいた。

この日は途中に食事を買う場所がないので、カンサーの宿でお昼を注文しておいて途中で食べた。

カンサーの村から歩いて1時間でたどり着く、チベット寺院。チベットのラサでもらった祈祷用のスカーフをこの寺院で納めて、ティリチョ湖へ無事にたどり着けることを祈願した。

ティリチョベースキャンプまでのハイ・トレイルを歩く私。先に見える祈祷旗がある所が最高地点で標高4700メートル近くある。この地点から標高4150メートルにあるベースキャンプを見下ろすことが出来る。ここからベースキャンプまでのくだりはかなり怖い。

 

第7日目(10月29日)ティリチョベースキャンプ〜ティリチョ湖へ日帰り〜カンサー(Khangsar)
歩き時間:8時間

昨晩は7人部屋のドミトリーでいびきをかく人がいたり、なにかとうるさくてよく眠れず、5:30には目が覚めて、6:15にはティリチョ湖に向けて出発した。朝食は前の晩に頼んでおいた甘味のあるチベット風パンとフライド・ポテトを歩く途中に食べた。3時間半後にようやく湖に到着した。運良く高山病の症状も出ず、無事湖を見下ろす標高5000メートルの地点にたどり着いた。標高4950メートルにある湖は想像していたより大きく、吸い込まれるような青さで、隣にそびえたつティリチョ峰の山の白さと対照的だった。正直言ってティリチョ湖までの道のりは私にとってはきつくて、何でこんなつらいことをしているのだろうかと思いながら歩いていたのだが、その気持ちは湖の姿を見て一瞬にして消えてしまった。

ティリチョベースキャンプまでは1時間半で戻り、温かい昼ご飯をゆっくりと楽しんだ。ティリチョベースキャンプからカンサーまでは下のルートを選んだが、この3時間の道のりは精神的にも肉体的にも大変きつく、途中見かけた、日向でのんびりと草を食む牛がなんだかとてもうらやましかった。どうしてこんなに毎日つらい思いをして歩き続けるのだろうか。あまりに疲れて思考回路がやられていたと見え、来世は暖かい日向で丸くなって昼寝ばかりする猫に生まれ変わりたいとも思った。カンサーの宿に戻ると、フランス人団体客で宿が満室で、村の別の宿に泊まった。

ティリチョ湖へ向かう途中の標高約4500メートル地点で、ティリチョ峰を背にポーズをとる私達。

ティリチョ湖を見下ろす標高5000メートル地点では、祈祷旗がはためく。後ろにそびえたつのはティリチョ峰。

ティリチョ湖を背にポーズをとる私達。湖に浮かんでいる小さな白い物体は、氷河から離れた氷である。

 

第8日目(10月30日)カンサー(Khangsar)〜レダー(Letdar)
歩き時間:4時間半

今日は6:30に目が覚めるまでゆっくりと寝て、8:40にカンサーを出発した。カンサーからアンナプルナ1周ルートに戻る近道を教えてもらったが、その道は景色がすばらしく気持ち良く一日をスタートした。しかし、アンナプルナ1周メイン道に戻ると、あまりの人通りの激しさに改めて驚いた。観光客よりもネパール人ガイドやポーターの数の方が多いのも笑える。ネパールの経済の為には良い事だが、こんなに人が必要なまで荷物を持ってくる意味はあるのだろうか。ヤクカルカの村では今度はイギリス人団体客がいて満室と言われた。一時間先のレダーでは、最初の宿で昨日と同じフランス人グループがいて満室で、次の宿でようやく空きがあった。かなり疲れていたのでこの後3時間先の4450メートルの宿まで歩く気力も体力もなかったので、本当にこの宿が空いていて良かった。

 

第9日目(10月31日)レダー(Letdar)での休憩日
歩き時間:0時間

昨日の夜から少し調子が悪かったが、朝起きるとのどが痛くて熱っぽかった。これから標高4800メートルまで歩く気力がなく、標高4800メートルの宿でもっと具合が悪くなっても困るので、レダーでもう一泊する事にした。病気になるならもうちょっと高度が低くて、暖かく、設備の整ったところだったら良かったのにと思わずにいられない。とりあえず日当たりのよい部屋に移動して、寝袋の中で一日中寝て過ごした。夕食時までにはずいぶん調子が良くなってきて、普通に食べることが出来たので、多分明日から歩き始める事が出来るだろう。

 

第10日目(11月1日)レダー(Letdar)〜トロン・フェディ(Thorung Phedi)
歩き時間:2時間半

朝起きてみると昨日よりずいぶん調子がよいので、とりあえず標高4450メートルのトロン・フェディまで歩くことにした。7:15に歩き出したが、途中あまりの寒さに驚いた。ポーターの一人が高山病になって辛そうにしていた。とりあえず水を分けてあげて、残りのグループを見つけたら連絡することを約束した。2時間半ののろのろ歩きの後、トロン・フェディに到着した。本当ならあと1時間登った所にあるハイ・キャンプまで行くつもりでいたが、私はそこまで行くエネルギーがないので、トロン・フェディで宿泊することにした。チベットに行って以来、どうも食べた後に気分が悪くなる症状が続いている。そのうち良くなるだろうとほっておいたのだが、標高が高くなるにつれ少しづつひどくなっているようだ。昼寝をした後も頭がぼーっとしていたが、ミルクティーを飲んで何とか持ち直した。日当たりの良いダイニングルームでのんびりとしていると、ここでもう1泊しようかとも思ってきたが、日が落ちてかなり寒くなってから、やはり5400メートルの峠までポーターを雇ってでも明日登り始めることにした。宿でゴパルという名のポーターを雇った。宿から峠までの契約で、もし途中で私の具合が悪くなったら、荷物を持って宿まで戻ってくることで合意。

写真の真中に見えるのが、標高4450メートルにあるトロン・フェディにある宿。この先は5400メートルの峠を越えるか、今きた道を戻るかしかない。

 

第11日目(11月2日)トロン・フェディ(Thorung Phedi)〜ジャルコット(Jharkot)
歩き時間:7時間

朝5:15に朝食抜きでポーターのゴパル、ティリチョ湖へ行く途中に知り合いになったブライアン、私達2人の4人で出発した。最初の1時間は道が急でかなりきつかった。しかしつらいのは私達だけではないようで、私達より早く出発した観光客が何人も途中で休憩している所を通りかかった。ハイキャンプに着いて暖かい飲み物を頼み20分休憩してから登り続けた。ハイキャンプの後は比較的平らな道が続き、荷物がない事でずいぶん楽で、高山病の症状もなく、歩き出してから1時間位は相変わらず体調が優れずどうなるかと心配していたのだが、急に調子が良くなり、8:45にはトロンラ峠に到着した。峠では風が強くてあまり長居が出来なかった。

峠を越えて次の町はムクティナートという所で、ここは標高3798メートルである。峠でゴパルから荷物を引き取り、まだ元気の残っていた私は、約1600メートルの標高差の下り道を3時間で元気良く駆け下りた。

峠を越えてからの景色が峠の越える前の景色とまったく違うのに驚いた。峠の前は川幅がどんどん狭まり、崖に囲まれる感じだったのが、こちらでは川幅が大きく遠くまで見通しが利く。峠の前は全体的に灰色がかった色調だったのが、こちらでは赤茶けた色調だ。まるで別世界のようでなにもかもが目新しかった。

ムクティナートでは、途中に出会った他の旅行者6人と一緒に、おいしいランチを楽しんだ。メニューも突然豊富になり、なにを頼んでよいのか決めるのに苦労する程だ。ランチの後は30分ほどほとんど平らに感じる道を下り、ジャルコットの宿で宿泊した。

ウェスがチベットから持ってきた祈祷用のスカーフを峠の祈祷旗に結んだところ。午前9時時点でもかなり風が強かったが、お昼頃には風がもっと強くなるそうだ。

峠のサインの前でポーズを取るウェスと私。景色は期待していたより良くなく、数日前に訪れたティリチョ湖の方が断然きれいだった。

 

第12日目(11月3日)ジャルコット(Jharkot)〜マルファ(Marpha)
歩き時間:6時間

居心地の良いジャルコットの宿には名残惜しかったが、おいしい朝食を食べた後町を散歩してから、9:45にカグベニに向けて出発した。ほとんど平らに感じる道を2時間歩いて11:45にカグベニに到着した。あまりたいした町ではなく、昼食後マルファに向けて出発した。カグベニからは今日の朝出会った日本人ご夫婦から聞いていたとおり、ものすごい強風で、しかも休みなく続く向かい風だった。バンダナで口と鼻を覆わないと、埃で息が出来ない状態だった。時々風があまりに強くて、どんなに足を前に出そうとしても進めない時もあり、そんなことを繰り返して午後3:30にジョムソンの警察のチェックポイントにようやく着いた。今までほとんど誰にも会わなかったのに、チェックポイントで続々と前にあったことのあるハイカーが顔を現した。

もう遅いしニルギリ山脈の眺めも良さそうなので、ジョムソンに泊まりたかった。出会ったハイカーも全員マルファへ行くと言っていて混みそうだし、ジョムソンはずいぶんがらっとしている感じだった。しかしウェスがどうしてもマルファまで行きたいと言うので仕方なく後1時間半歩くことにした。この1時間半また強風の中を、日が沈んでどんどん寒くなる中を歩くのは今まで以上につらかった。マルファはりんごの都としても知られているとてもかわいらしい感じの町だが、町の10軒程の宿はすべて満室だった。町から20分離れたゲストハウスでようやく空きがあった。

ジャルコットを出てすぐの所で見かけた、チベット様式の仏塔は、それぞれ守護の色である黒、慈悲の色である白、知識の色である赤に塗られていた。

 

第13日目(11月4日)マルファ(Marpha)〜トゥクチェ(Tukuche)
歩き時間:1時間

朝のんびり寝て、朝食後マルファの町のチベット寺院を見たり、裏の崖を登ったり、靴底がはがれてきたウェスの登山靴を修理してもらった後で、一時間先にあるトゥクチェの町へ歩いた。町に入って最初のホテルに入ってみたら、シャワー室、トイレ、部屋のどれをとっても信じられないほどきれいで、すぐに決定。そして2週間ぶりの熱いシャワーとおいしい手作り料理に感激し、ここに2泊して明日日帰りで標高3800メートルにある見晴らしの良い所まで登ることにした。

マルファのチベット寺院の前にある、マニ車。マルファの建物はチベット様式の白塗りの建物が並び、とてもきれいで観光客にも人気が高い。

 

第14日目(11月5日)トゥクチェ(Tukuche)〜High Plains View Pointへ日帰り
歩き時間:5時間

今日はトゥクチェに連泊して、標高3800メートルにあるビューポイントへ日帰り登山をした。ずっとかなり急な道が続くが、景色は良く、紅葉した木、りんご畑、松の木々、周りの山々、川沿いに連なる町の数々など、次々と変わる景色に飽きることがなかった。また他にも体が白くて顔が黒いさるや、言う事を聞かないヤクの群れを山から下ろそうと苦心するヤク使いの男、標高4000メートル以上の上空を優雅に舞うハゲワシ等が次々に現れて楽しませてくれた。ビューポイントを越えた所にある峠に屋根のないシェルターがあり、そこですぐ目の前に繰り広げられる雲のパフォーマンスを飽きることなく楽しんだ。宿に帰っておいしいおいしい昼食を食べた後、ラマダンスと呼ばれる年に一度のチベットのお祭りを町のお寺に見に行った。チベットの衣装に身を包み、お囃子に合わせて単調にも思える振りでゆっくりと踊る男たちの姿はとても興味深かった。夕食の後は母の会主催のダンスがあると聞き、チケットを買って楽しみに行ったのだが、1時間も遅れて始まったパフォーマンスは、子供の学芸会よりひどい有様でがっかりしてしまった。

ビューポイントから見た、太陽に輝くニルギリ山脈。

年に一度のラマダンス祭りでチベットの衣装に身を包み踊る男性。

怖いお面を被った男達は、子供を脅かしたり、女性にふざけて抱きついたりして、観客を笑わせていた。

 

第15日目(11月6日)トゥクチェ(Tukuche)〜ガーサ(Ghasa)
歩き時間:5時間半

最後の最後までトゥクチェにもう1泊しようか迷っていたのだが、次のトレッキングに出かける日も迫ってきたし、先に進む事にした。しかし人通りとラバの通りが多いメイン通りには嫌気が差していたので、川原を歩きながらアンモナイトの化石を探し、途中の地元の人々が利用する小さな橋をいくつか渡って、メイン通りから対岸にある小さな道に沿って歩いたので、人も少なくとてものんびりと歩く事が出来た。途中カロパニでお昼を食べた後は、川幅も狭まり、景色にも変化が出てきて、時々ラバの大群に挟まれて埃っぽい思いをする以外は気分良く歩くことが出来た。

メイン通りから離れて対岸を歩いている時に見えたダウラギリ山。

川を渡ろうとするやぎの大群。渡り始めるまでやぎ飼い人々がずいぶん苦労していた。

 

第16日目(11月7日)ガーサ(Ghasa)〜タトパニ(Tatopani)
歩き時間:5時間

今日は温泉のある町タトパニになるべく早くたどり着きたいと思い、久しぶりに早起きして7:15には出発した。峠を越えるまでは早起きが習慣となっていたが、峠を越えて以来どうも朝起きる気力が消え去ってしまった。今日の道は多少の登り下りを繰返す道だが、観光客よりもラバの方が数が多かった。地元の人々にとっては欠かせない重要な交通手段を分かっていながら、その数があまりにも多くて参ってしまった。時々休憩して5時間後にようやくタトパニのお勧めの宿に到着した。バス・トイレ付のバンガローはとても落ち着けて居心地が良く、庭の食事場所もレモンやライムの木に囲まれて一度座ったらもう動き出したくなくなるほど気持ちが良かった。アンナプルナ一周トレッキング中に知り合った人々にも何人も再会する事が出来、楽しいひと時を過ごした。食事もおいしく連泊をすぐに決定した。カグベニからマルファの間の強風に対抗して歩いた日以来調子が良くなかったのだが、今日の朝はのどが痛くて少し熱っぽかったので明日はゆっくりした方が良いだろう。

 

第17・18日目(11月8・9日)タトパニで休憩日
歩き時間:0時間

私の風邪が良くならないので、結局3泊してしまった。2日目には、上半身のマッサージを受けたり、温泉に入ってゆっくり体を温めてみた。3日目の昼頃にようやく調子が良くなって来たが、ゴレパニに行くには時間がきついので、一番簡単で早くポカラに戻れる、ベニに向かうことにした。

この露天風呂に入るのを楽しみに、水着を2週間運んできたのだ。タトパニの温泉は期待を裏切らずに、疲れた筋肉をほぐしてくれた。

 

第19日目(11月10日)タトパニ(Tatopani)〜Galeswor
歩き時間:5時間半

3泊したタトパニとも今日でとうとうお別れだ。朝食後9時に出発。タトパニからポカラ方面へは2つの行き方がある。一番簡単なのは、タトパニから約8時間先のベニへ歩き、そこから5時間のバスに乗る方法。もうひとつは2〜4日間かけてゴレパニ経由でナヤプルに行き、そこからバスに乗る方法だ。時間のある人はほとんどがゴレパニへ行き、そこから1時間位で歩ける、プーンヒルという標高3210メートルの”丘”から朝日を見るのが定番だ。私達は、私の体の調子が悪くてタトパニに連泊して時間がなくなったのと、次のロブチェ東峰登頂に向けて体力を回復する為に、簡単な方法をとりベニへ向かうことにした。

タトパニからベニへはほとんど平らと聞いていたのだが、思ったより上り下りがあった。途中タトパニの宿でもらったシナモンロールとみかんの軽食をとり、3時頃Galesworに到着した。子供団体をさけて2軒目の宿に行ったのに、10分後にはキャーキャー大騒ぎをしている子供がもっとたくさんやって来た。参った。

 

第20日目(11月11日)Galeswor〜ポカラへの移動日
歩き時間:0時間

Galesworからポカラ行きのバスが出るベニまでは徒歩1時間の距離で、一人30ルピーのジープの乗合タクシーだと15分の距離である。ベニの町に着いてから、大きな吊り橋を渡り小さな商店が並ぶ道を数分歩くと、鶏や犬が歩き回る広場兼バスターミナルがある。広場の一角には、バス券を売る赤いボックスがあり、ポカラまでは一人150ルピーだった。ポカラ行きのバスは午前9時から午後5時まで約1時間おきに出発するそうだ。

20日前に乗ったでこぼこ道のローカルバスは、全てがめずらしくて楽しんだのだが、アンナプルナ連峰の周りを一周し終わった後の、でこぼこ道のバスは非常に体にきつかった。早くポカラに着いて欲しいと考えていると、1時間半ほどで舗装した道になりそこからの3時間半は精神的にもかなり楽で、文明のありがたさを身を持って体験した気分だった。お昼も食べずにポカラのホテルに落ち着いたのは、もう午後4時を過ぎていた。なにわともあれ、念願のアンナプルナ一周を完了した。おめでとう!


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