ミャンマー チャイッティーヨー・バゴー 2002.1.19 - 2002.1.21

ゴールデン・ロック

ヤンゴンでドル現金を両替した後、バスでピックアップ乗り場に戻りバゴーへ向かった。バゴーに着くとしつこい客引きが何人かいて、ミャンマーも観光ずれしてきていることに気がついた。数多くの国で言える事だが、普通の人々は本当にいい人ばかりなのに観光業に携わる人の中には観光客をだまそうとしたり、しつこく言い寄ってくる人が多く、仕事とは分かっていながらいやな思いをするはめになる。そしてどの位一般の人々と触れ合う機会があるかで、その国に対する印象が大きく変わってくる気がする。

バゴーでバスに乗り換えて、落ちそうで落ちない巨大な岩ゴールデンロックが祭られているチャイッティーヨーへ向かった。この週末はこの地域の特別なお祭りか、長い週末にあたったようでどのバスも満員で、翌日出会ったカナダ人カップルはこの日1時から5時まで待ったが、ずっとバスに乗る事が出来なかったそうである。私達は5時頃バゴーに着き、運良く通路に空きが少しあるバスが5時半頃にやって来た。

午前中ヤンゴンで乗った市バスは、レオ君も付いている西武バスのお古だったが、今度は東武バスだった。随分使い込まれてボロボロになってきてはいるが、それでも他のバスと比べれば日本からやって来たバスは随分豪華に見える。巡礼者でぎゅうぎゅうづめになったバスは熱気むんむんであった。通路に置かれた小さなプラスチックの椅子に座っていると30分もしない内におしりがしびれて来た。運転手さんと隣の女性は時々私が無事かどうかと気にかけてくれているようだった。途中で運良く隣の席が二人分空いた。私だけとりあえず座っていると、バスの中のほうに別々に座っていたウェスがはるばるとやって来た。バス中の人がほらあそこ席空いたから座りなさいと教えてくれたそうである。

夜9時半位にチャイッティーヨーの町に着き、運転手が指差した方角に歩いていくと、ガイドブックに載っていた宿が見つかった。今日はいろいろあったが多くのミャンマー人に助けられながら、ここまでたどり着いたという感じだ。この日は久しぶりに二人ともぐっすりと眠った。

翌日は前日に負けない位、すばらしい出来事が待ち構えている日であった。ゴールデンロックのあるチャイッティーヨー・バゴダは山の頂上にある。安宿が数軒あるふもとの町キンブーンからは4〜5時間かけて歩いて行く事も出来るが、私は前日の疲れがまだ残っていたので、ピックアップトラックに約1時間乗り、その後約1時間他の巡礼者と一緒に歩いた。このトラックにはやたらと陽気な巡礼者家族がいて、トラックの旅では始終笑いが絶えずとても楽しかった。そしてこの家族はトラックを降りた後も何かと気にかけてくれて、メンバーの何人かとゴールデンロックまで一緒に歩き、昼食を一緒に食べて15人の家族全員と会い、午後には家族の6人と一緒にパゴダ周りをした。途中からはトラックでいっしょだった修行僧も加わり、思いがけずすばらしい経験が出来た。

チャイッティーヨー

ふもとの町キンブーンから山の中腹に向かうトラックは超満員である。しかし陽気な家族がいて1時間とっても楽しむことが出来た。

写真では良く分からないが、石が地面に接している部分はほんの小さな面積しかない。よくこれで落ちないものだと関心した。男性は金箔を石に張ることができるが、女性は石に触ることが出来ない。

今日一日お世話になった家族の一部と修行僧。すばらしい思い出をありがとう。

バゴー

翌日またバゴーまでバスで戻り、その日の午後1時半出発のインレー湖行きのバス券をハダナカフェで予約してもらうと、運良く最後の2席が残っていた。バスが出発するまでの2時間、サイカー(人力車)を雇ってバゴーの主な観光スポットを周ってもらった。

僧院では10時半のお昼ご飯に間に合うことが出来た。何百人もの修行僧が一列に並んで食堂へ向かう様子は圧巻である。修行僧は食堂の入り口で持参した器にご飯をもらうのだが、私もご飯よそいをさせてもらう事が出来た。

 

食堂で一斉に食事をとる修行僧達。

 

シュエターリャウン・パゴダの寝釈迦像は、バゴー王朝崩壊後は忘れ去られていたが、1881年に鉄道工事の為の調査をしていたインド人技術者によりジャングルに覆われていた仏像が発見された。

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