モロッコ メルズーガ 2001.02.04 - 2001.02.09

サハラ砂漠

トドラ渓谷で出会ったハッサンの車からサハラ砂漠の砂丘が見えた時は、なんだかものすごく遠い所まで来てしまったという感覚にとらわれてしまった。距離的な遠さではなく、精神的な遠さを感じたのだ。豊かな緑と水に恵まれた日本で生まれて育った私には、体の芯まで乾いてしまいそうな環境が非常に異質なものと感じるのに、この過酷な環境を自分の故郷として愛する人々が大勢いるのだ。

サハラ砂漠の町メルズーガで生まれ育ったハッサンもその一人だ。モロッコ人としては珍しく海外に何度も出たことがあり、大金持ちでなくても海外旅行をすることが出来るという感覚を理解出来る貴重な存在である。観光客は全て大金持ちと考えてしまうモロッコ人は、高級ホテルに泊まるような観光客でも、バックパッカーでも差別なく扱う人が多いなかで珍しい人だ。そんな彼は海外に出るのは大好きだが、やはり自分の家はこの砂漠であり、ここに帰ってくると一番落ち着くと言ったときにはかなり考えさせられた。

ここでもらくだツアー

メルズーガの砂丘近くでは、らくだツアーが観光の目玉となっているようだ。ここに辿りつくまでにも何度もしつこいらくだツアー勧誘に出会ったが、なんとかツアーに引っかからずに砂丘までやってこれた。砂漠の近くでのんびりしたかった私たちにとっては、メルズーガで宿を経営するハッサンにトドラ渓谷で出会い、車で直接送ってもらえたのは幸運だった。公共の交通手段を利用したら、トドラ渓谷からは2日かかるだろうと予想していた所を3時間ほどでついてしまった。彼の宿を見て気に入らなかったら別の宿へ連れて行ってくれると言ってくれたが部屋を見て、簡素ながらきちんとした所だったので彼の宿でのんびりすることにした。(ハッサンの宿:Auberge Soleil Bleu 携帯:061-351688)

らくだに乗りたいとずっと言っていたウェスは、その日の夜ハッサンの弟アリが宿にやってきて両親が持っているらくだに乗ってみないかという話をしに来たときは乗り気であった。車でメルズーガの村に住むハッサンとアリのお父さんに会いに出かけた。ベルベル語しか話せないお父さんの通訳を買って出たのが弟アリだが、どう考えても値段が異常に高い。ここにたどり着くまでにいろいろならくだツアーの値段を聞いていたので、その値段が法外なことは明らかだった。宿に戻ってハッサンと話している時に、アリがお父さんの行った金額を全て倍にして伝えたことが判明した。ばかな観光客から多めにお金をとって差額を自分のおこずかいにしようとでもたくらんだのだろうか。それが判明してからアリは両親からもハッサンからも厳しくしかられたようで、翌日の朝わざわざ謝りにきた。この事があってからウェスはらくだに乗る気がしなくなり、私はもともと興味がなかったので、らくだとのお付き合いはみかんやにんんじんの皮を手から食べさせることで充分満足した。

ハッサンの両親のらくだツアーの本当の値段は良心的である。詳細は以下の表参照。近くの町エルフードの日本食レストランでは、経営者の若い日本人女性とモロッコ人のご主人が日本人をターゲットにして、かなり割高(旅行者の話では2000DHから4000DH近く)の値段で旅行者をぼろうとしているそうである。日本人だから大丈夫と安心させる手口はちょっと許せないと思った。

一人あたりの値段 ツアーの詳細
500DH 午前10時出発。らくだに2時間乗って砂漠のベルベル人のテントへ行き、昼食・夕食・朝食を共にして次の日の朝10時頃に戻る。
300DH 午後4時出発。らくだに2時間乗って砂漠のベルベル人のテントへ行き、夕食・朝食を共にして次の日の朝10時頃に戻る。
200DH 午前6時出発。日の出を見て午前8時頃戻る。

らくだに乗らなくても砂漠の宿での4日間は楽しく過ぎていった。日の出や夕日を見るために砂丘まで歩いていったり、モロッコ料理の作り方を教わったり、夜はハッサンとその仲間と共にモロッコの太鼓タムタムを演奏したりした。また何もしないでぼーとしているのがとっても素敵なメルズーガの時間の過ごし方かもしれない。メルズーガの4日間はモロッコ全体の経験の中で一番印象に残る日々となった。またいつか戻りたいと約束してサハラ砂漠を後にした。


メルズーガ

サハラ砂漠からの日の出は幻想的で美しい。

オレンジ色に染まる砂丘の前で。砂丘はひとつ登ると次の砂丘が見えていったいどこまで続くのか想像もつかなかった。

ひとりでぷらぷらと歩いているらくだ。宿泊先のらくだも自分たちでごはんを探しに出かけて夕方宿に自力で帰って来ていた。その姿を見たときには非常に驚いた。どうして自由に逃げようとしないの?

近くのメルズーガの村では、共同のパン焼き釜戸があり、お昼時には近所の女の子が集まって家族のパンを焼きに来ていた。

宿の責任者アブドゥールからは、モロッコ料理の作り方を習った。几帳面なアブドゥールは優しいながらチェックは厳しい。

アブドゥールと猫のミミと一緒に夕食。今日のメニューはモロッコ名物の鶏肉のタジン。アブドゥールの監督の元で私が作った。

宿のオーナーのハッサンは、モロッコの太鼓タムタムの名人だ。夜になるとどこからか友達が遊びにきて、タムタムの演奏会となる。スペイン等で公演の旅に出たこともあるハッサンの腕前は一見の価値あり。

戻る2001年旅行記目次モロッコの地図ホーム

  Copyright © 2000-2002   Wes and Masami Heiser.   All rights reserved.