ラオス ビエンチャン・ワンウィエン・ルアンパパーン・ポーンサーリー 2002.2.21 - 3.5

桃源郷を目指す(ポーンサーリーからトレッキング)

南部の見所や世界遺産都市であるルアンパパーンに、思ったより感銘を受けなかった私達に残される唯一の楽しみは、ラオス最北端にあるポーンサーリー州の州都ポーンサーリーからのトレッキングでラオスの少数民族の村を訪れることであった。

州都とはいっても、ポーンサーリーへの交通手段は限られている。ルアンパパーンから行くと、ミニバスかトゥクトゥクで約6時間北にあるウドムサイという町に まず行き、翌日の早朝大型トラックの荷台に、大勢の人と荷物と共に乗り、埃まみれになり体中に感じる痛みと戦いながら約10時間かけてようやく到着した。

翌日ガイドを探しに町中を歩き回ったが、結局何の情報も見つけられずにゲストハウスに戻ってみると、昼寝をしていたウェスの所にトレッキングガイドがたずねて来たと言う。ラオスではこちらから情報を探すとなかなか難しいが、ぼーっとしていると必要な情報が向こうからやって来ることが多い。17歳のガイドのトムジャンは、修行僧としてビエンチャンに生活していた時に英語を勉強したそうで、ポーンサーリーの中では感心するほど英語が上手い。翌日朝6時出発で2泊3日の予定でトレッキングに出る事にした。

トレッキングはまだ薄暗い朝6時に始まった。最初の2時間位は車も通れそうな広い山道を楽々と歩いたが、人が一人ようやく通れる山道になると起伏も激しく滑りやすく、お昼時にはすっかり疲れ果ててしまった。しかし6時間歩いた後でも、残りはまだ6時間もある。>途中予期しなかった、川幅がかなり広く腰近くまでの水の深さの川を渡ったり、ヒルに血を吸われた所から血が止まらなくなったりして、最後の急な登り道では暑さと疲労の為に何度戻ろうかという考えが頭をよぎった事か。熱帯でのトレッキングは、さわやかなヒマラヤとはまったく違った厳しさであった。

予定ではもう暗くなりかけた6時過ぎに目的の村に到着するといわれていたが、4時過ぎに目的地のパーインサンマイ村に到着した。途中いくつか通り過ぎた村では、途中バスから見かけた村とほとんど変わらない感じだったが、パーインサンマイ村は今まで見たどの村とも違った趣だった。好奇心旺盛な子供たちの半分は薄い藍色の民族衣装を着ていて、おばあさんも同じ色の民族衣装を身につけていた。しばらくすると畑に働きに出ていた女性達が続々と帰ってきた。若い女性たちの衣装は、見慣れない私の目には畑仕事用とは思えない程凝ったデザインに見えた。特に頭につけるヘッドドレスにはいろいろな種類の金具の飾りが垂れ下がっていて、それが人によりいろいろとデザインが違いきれいだった。不思議なのは男性は全員普通の洋服を着ていて、民族衣装を着ている人は一人もいなかった。

その日の夜は村の学校の先生の家に泊めてもらった。8年前に訪れたタイ北部の山岳民族の家と比べても、とても簡素な作りで、雨が降ると家の中が雨漏りで水浸しになるとも言っていた。村の先生はこの村の出身ではなく、別の村で生まれ育った人である。村の住人の家に泊まれなかったのは残念だったが、トムジャンによると村人の衛生に対する感覚が”遅れていて”、動物等を触った手を洗わずに料理をするので、トムジャンでさえお腹を壊してしまった事が何度もあり、トムジャンは出来るだけ外部の者でありまた教育のある先生の家に泊まる事にするそうである。2泊目の村はラオス人の村なので村人の家にも安心して泊まれるとも言っていた。山奥の村々では政府からの援助があり、初等教育がただで受けられる。しかし村の子供達を学校に通うよう説得するのが一番の難関のようである。パーインサンマイ村の住人は160人で、外で遊んでいる子供達だけでも50人近くいたように見えたが、学校へ通うのは7人のみ。翌日学校を覗いて見たら、生徒は3人しかいなかった。

翌日は前日とはうって変わってほとんど平らか下りの道で、何ヶ所か昨晩泊まった村と同じ民族の村を通り過ぎて、6時間後には川沿いの村ワッタイにたどり着いた。川で水浴びと洗濯をしてスッキリした後、今日お世話になる家の人々が畑仕事から帰ってくるのを待った。家の人々が帰ってきたのは、もう日が暮れる頃だった。一日中畑で働いた後、疲れも見せずにお父さんが家の掃除をして、お母さんが食事の用意を始めた。お母さんの作ってくれた料理はシンプルながら本当においしく、一日の疲れがふっとんでしまう程であった。

翌日はボートとトラックを乗り継いで、ポーンサーリーへ帰るだけである。ワッタイからハットサーまでは、ボートで川を下り約1時間。ちなみにハットサーからさらに川を下るとノンキャウ経由でルアンパバーンまでいく事も出来る(2泊3日)。私達はハットサーでポーンサーリー行きのトラックを待ち、一番最初に来た砂を荷台に積んだトラックに乗せてもらい、砂の上に立って約1時間でポーンサーリーに着いた。初めてポーンサーリーにやって来た時は、何もない田舎に見えたのに、3日後にトレッキングから帰って来た時にはずいぶん発展した町に見えたのが不思議であった。

ワンウィエン

ナムソン川から見る夕日は、とても美しかった。
ルアンパパーン

ワット・シエンソンはルアンパパーンの中で一番有名なお寺である。

ワット・タットルアンの境内では、若い修行僧がシンバルや太鼓を叩いて数少ない観光客を圧倒させていた。
ポーンサーリー

パーインサンマイ村の女性は、普段から民族衣装を着ていて、畑仕事をしたり薪を拾いに行ったりしている。

お目付け役のお父さんがおしゃべりしている間に、赤ちゃんは畑を散歩。

パーインサンマイ村を見渡す私。

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