フランス パリ 2000.6.25 - 7.1

恋人の街パリ

街の印象

街の印象とは不思議なものだ。昔、旅の途中に滞在した街で、心からその街のことが好きになり、10年以上たっても心の中に残る所があれば、もう二度と来るもんかと思ってしまう街もある。また、良い悪いもなく、記憶からいつの間にか消え去ってしまう街もある。そして、同じ街に対しても、好き嫌いの印象は、訪れる時によりまったく変わる場合もある。

12年前の50日間バックパックの旅では、パリが最終地点だった。ロンドンから始まり、ベルギー・ルクセンブルグ・南ドイツ・オーストリア・ハンガリー・イタリア・スペイン・ポルトガルと周り、最後にパリから成田行きの飛行機に乗った。途中、予定外の街で道草くったりした為、パリでは確か丸1日くらいしか、時間がなかったはずである。よって、私のパリに対する印象は、大都市であることと、シャンゼリゼ通りで、車の排気ガスで頭がいたくなったことと、思ったよりウェウターが親切だったことだけだった。

ウェスのパリに対する印象は、かなり悪い。13年前やはり、バックパック旅行で立ち寄ったパリでは、ウェイターからいじわるされたり、ゲイのおやじに狙われたり、公園のベンチで夜を過ごすことになったり、ヒッチハイクで誰も止ってくれなかったりと悪いことばかりおきた。ウェスは中学・高校でフランス語を第二外国語として勉強し、当時フランス語はかなりしゃべれたそうだ。テレビのニュースが分かったというから、かなりのものだったはずだが、それでも物事がうまく進まず、もう二度とパリにくるかと思ったそうだ。

ロンドンで憂鬱になりだした私は、次にまた別の大都会へくるのがいやだった。ところが、パリに来たとたんに、その憂鬱はきれいさっぱりなくなってしまった。

観光の名所が集まる、パリの中心は道路も歩道も広く、歩きやすい。ビジネス街は古くからあるエリアの外に作られているので、先を急ぐビジネスマン達に疲れる必要もない。焼きたてのパンやかわいらしいお菓子類を売るパン屋さんが、街のあちらこちらにある。お金をかけないで、おいしい物がどこでも手に入る。また、外国語のメニューをおいてある観光客ずれしたレストランだけでなく、フランス語の手書きの日替わりメニューしかなく、ウェイター・ウェイトレスもほとんど英語がしゃべれないビストロやレストランもある。

美術館の豊富なことはもちろんだが、街のあちこちに残る古い建物や記念碑が、情緒をただよわせている。地下鉄の駅では、しろうとの音楽家があらゆる音楽を奏でていて、通行人からお金をもらっている。

パブ(居酒屋)でさえ、11時には閉まってしまったロンドンとは違い、平日でも夜遅くまで人々の笑い声が街のカフェからあふれている。最初に泊まったホテルは、カフェの上にあったので、夜、窓を開けると、人々のさざめきや、アコーディオンの奏でる音楽が聞こえた。なかなか寝付けない夜には、街の騒音をバックグランドにすると、不思議と睡魔がやってきた。

前回工事中で見れなかったルーブル美術館だけみて、いやなら出てしまってもいいと考えていたパリだったが、結局1週間いることになった。次の予定がなければ、もっと長居していたかもしれない。

もう二度と来るもんかと思っていたウェスもすっかりパリのとりこになってしまった。そして、数ヶ月フランスに住んだら、また昔のようにフランス語がしゃべれるようになるかもしれないとも言っている。

あちこちでキス

ロンドンからやってきて、一番違うなあと感じたのは、街のあちらこちらで恋人たちが、熱いキスを交わしている姿をみた時である。

イギリス人はあまり感情を表に出せないのが問題だと、あるイギリス人が言っていた。だから、エネルギーの出し方を間違えて、外国でサッカーの試合があると暴動騒ぎになるとも言った。おもしろい解釈だと思ったが、フランスでは感情を出せないという心配はなさそうだ。

ウェスはキスを交わす恋人の姿を見るたびに、あそこはキスの場所だー、とつぶやく。そして私たちも自分のキスの場所を作らなくっちゃとはりきるのだった。

ゲイ天国

私たちが泊まっていたホテルの周りには、ゲイの溜まり場のカフェやレストランが多かった。みんなとてもオープンで、男同士がキスしたり抱き合ったりしている姿に最初は驚いていたが、数日間すると随分慣れてきた。

人で溢れるゲイバーの前を通ると、なんとなくウェスに熱い視線が集まるような気がして、ちょっと緊張したが、きっと気のせいだろう。

印象派の印象

パリではあまりにも美術館の数が多く、とても全部は見てまわれないと判断した私たちは、一番の目的であったルーブル美術館と、私たちの好きな印象派の展示物が多くある、オルセー美術館(Musée D'Orsay)とモネ美術館(Musée Marmottan de Claude Monet)に絞ることにした。

私は、美術館や博物館に訪れると、人ごみに疲れて見る気をなくすか、ほとんどの展示物に共感を抱くことがなく終わってしまうことが多い。しかし、オルセー美術館とモネ美術館を訪れて、自分の波長と合う絵と出会えると、いくら混んでいても気にならないくらい、自分と絵との世界を作り出すことが出来ると知る。

クロード・モネの独特の自然への感性・解釈を、絵筆を通して自分の外の世界へ表現している様は、心を動かされる。オルセー美術館では、同じ場所を描いた絵を数枚並べて展示している所があるが、多分描いた時の彼の心の状態や、そこから変わってくる色使いの変化により、まったく違う印象の絵が出来上がることがうかがえる。どうして、こういう表現が出来るのだろう。

オルセー美術館のドガのパステル画は、薄暗くて狭い部屋に展示されている。明るく広い油絵の展示場から来るとあまりにも薄暗くてちょっと覗いてすぐ出たくなる欲求にかられるが、一歩絵に近づくと、目が離せなくなる。

例えば、肌の色を表現するのに使われているいろいろな色。ある作品ではオレンジ色の布の上にいる人物が描かれており、まるでそのオレンジが反射したように、肌の影の部分にオレンジ色のパステルがたくさん使われている。緑色や青色が肌の一部として自由に使われているが、それでも肌の一部の色として他とブレンドしている。ああ、もしかしたら次にパステル画を書くときに、いい影響になるかもしれないと興奮すると同時に、どんなにがんばってもこういう表現は私には出来ないのだと、絶望する気持ちもある。

自分の感性に合う絵を堪能した後は、いつもと違って、まるでよいマッサージを心に受けたような、そんな気持ちで美術館を後にした。

Euro 2000

私たちがヨーロッパを訪れた2000年夏は、サッカーのEuro 2000の真っ最中だった。イギリスに滞在していた時は、イングランドの試合の後に、イングランドチームの熱狂的なファンが開催国の街中で問題をいろいろ起こしていて、ニュースでとりあげられていた。これ以上問題が起きたら、イングランドチームを試合から除外するとアナウンスした後、ようやく問題が少し減ったが、その後一試合目で大敗したイングランドチームは最終トーナメントに残ることができなかった。

準決勝が行われた時には、パリに滞在していた。準決勝のフランス対ポルトガルの試合は、かなりスピードの速いおもしろい試合だった。でも、私にとって一番おもしろかったのは、試合が終わった途端に、街じゅうから地鳴りのような歓声が沸きあがった時だった。そして、その後すぐに道を行き交う車が、狂ったようにクラクションを鳴らしながら運転しだした。

そして、決勝戦のフランス対イタリアの試合の時は、すでにフランスを出てスイスに来ていたので、スイスの友人宅でテレビ観戦をした。イタリアが1−0でリードしていたが、試合終了1分前くらいで、フランスが奇跡的にゴールを入れた。そして延長戦中に、またフランスが1点追加し、逆転優勝する。

スイスでもフランスの応援者がいたようで、ときどき車のクラクションの音が聞こえるが、泊まっていたバックパッカーの宿に帰る途中で目に付いたのは、イタリアの国旗を持って呆然と立っていた若者達の姿だった。聞いた話によると、スイス・ルツェルンではイタリア系の住民が多く住んでいるらしい。

フランスでは、どんなに熱狂的に騒いでいることだろう。この逆転勝利の瞬間にパリにいれなかったのが、少々残念な気がした。

 

パリ

パリではあまりに見所が多く、写真も数多くとったのだが、ここではスペースの問題もあり、ごく限られた写真だけ掲載する。

パリに着いた日は、偶然年に一度のウェイター・ウェイトレスのレースが開催されていた。おぼんにグラス数個と水が入ったボトルを載せて、パリの街中を随分長い距離を走るようだ。ゴール近くでは、熱さと疲れから真っ赤な顔をしたウェイターが「もうこんなのやりたくない」ともらして、観衆の笑いをさそっていた。

ノートルダム寺院

すごい行列に並んで入ったのだが、なぜか中の印象が残っていない。

エッフェル塔から見た凱旋門。凱旋門の上に登ると、オスマン男爵が作り出した「新しいパリ」の成果が一番よく見れるという。パリの広い道、整然と整理された町並みは、オスマン男爵が行った大幅な区画整理のおかげだという話だ。

エッフェル塔に歩いて登った私たちは、疲れて凱旋門には登らなかった。

ウェスの力作のルーブル美術館での並ばなくてすむ入り口の説明図。左下のガラスのピラミッドがメイン入り口で、よく見ると人の列が後ろの建物まで続いているのが見える。列はその後建物の中でも100メートル程続いている。

列がまったくない入り口はPorte des Lions口で、写真の右側の矢印の所。ガイドブックによっては特別なチケットがないと入れないと書いてあったが、実際にそこにいって職員の人に聞いたら誰でも入れるとの事。実際にチケット売り場もある。

Saint Chapelle の一階。2階にはチャペルの壁全てにステンドグラスがあり、息をのむ荘厳さがあった。

クロード・モネの庭園(Giverny)

Givernyを取り上げないガイドブックがかなりあるようだが、モネファンなら楽しめることは間違いない。Givernyのモネの庭園までの行き方は次の通り。

  • Paris-Saint-Lazare駅からVernon駅までSNCFの電車で行く。電車のスケジュールと接続するバスのスケジュールが駅のインフォメーションでもらえる。
  • Vernon駅からGivernyまでは、約6キロあり、バス(21フラン)か貸し自転車(一日60フラン)でいける。タクシーという手もあるが、Givernyからタクシーを見つけるのが難しいので、同じ運転手さんに時間を決めて迎えに来てもらうのがよい。

私たちは、駅前のパブで自転車を借りて、のどかなサイクリングを楽しんだ。自分の好きな時間にGivernyを出発できることと、Vernonでセーヌ川沿いのサイクリングを楽しんだり出来るのが良かった。

また駅員さんが絶賛していたVernonのレストランで、初めてフランスのフルコース料理を堪能できた。想像していたこってりした料理ではなく、すべてがあっさりと仕上げてあり、また素材のおいしさをうまくいかした料理法でとても感動した。レストランの場所は、Vernonの街中にあり、駅から来ると郵便局のある道と逆方向にいくとすぐ左手にある。Givernyに向かう途中ですぐ見つかると思う。

  • Restaurant de la Poste
    26, avenue Gambetta
    27200 VERNON
    Reservation: 02.32.51.10.63

モネは自分のことを絵描きと庭仕事の他には何も特技がないんだと言ったそうだ。パリ郊外Givernyの、1883年から1926年に亡くなるまで過ごしてした、彼の元邸宅では、その第2の才能を垣間見ることができる。

モネの油絵であまりにも有名になった、水蓮の池にかかる日本式の橋。
ベルサイユ宮殿

宮殿のあるベルサイユの街までは、パリからはRER C5で行ける。電車はかなり頻繁にあるようだ。

ベルサイユ宮殿は、ルイ14世により父王の狩猟小屋があった場所に、フランス王国の権威を象徴する宮殿として建築された。ガイドブックによると、ルイ14世が、ある臣下の邸宅に招かれた時、あまりにも豪勢な造りに立腹し、臣下を牢獄にほうりこみ、より豪華な宮殿建築にとりかかったという。

左上の写真は、鏡の間である。広間の右側は背の高い窓が並び、左側にはびっしりと鏡が張りめぐらされている。

宮殿内の豪華さにも驚かされるが、庭園の広さもまた驚きである。庭園の焦点となる人口の池の先にたどりつくには、宮殿から約3キロ歩かなくてはいけない。

外の世界から、遮断された環境を作り出してしまったベルサイユ宮殿には、3代の王のみ居住することになる。もし、このベルサイユ宮殿が作られずに、フランス国王はパリのフランス人民を宮殿の窓から垣間見る環境に住んでいたら、フランス革命でギロチンの犠牲となることもなかったのかもしれないと、思わずにはいられなかった。


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